「知っている」と「感じる」の違い
私がよく使う言葉の中で「知っていると感じるは別」とお伝えすることがあります。これはランチ会や、お茶会などで私のお会いしてくださった方は、私から「感じ取る」ことで、「あ〜!知っているだけではなくて、感じるってこういうことか!」ということも併せて理解してくださるのですが、もう少しここでも私なりの言葉でお伝えしてみようと思います。
知っている、という「理解」と感じるという「納得」
いろんな心理ブログを読んだり、本を読んだり、動画を見ていると「知識」は増えていきます。
知識が増えるので、「今、自分がやっているこの行為は、やりたくてやっているわけではないから、犠牲なんじゃないか?」とか、「こんな風に、この人のことが嫌いなのは、私の中の嫌いな私を投影しているからじゃないか?」と、自分の知識を自分に照らし合わせて考えるということはできていくようになります。
で、ここで「じゃぁこの嫌なことをまず、やめてみよう!」とか、「そうか、私はまだ自分のこういう部分が好きじゃないんだな。少しあの本に書いていたワークをやってみよう!」とか、「セミナーに参加して、このあたりの知識をじっくりと自分と照らし合わせていきたい」と思って、自分らしく生きるという目的や、自分がそのままで愛される実感を得るために、動く方は多いと思います。
その一環で私のカウンセリングや、ランチ会などで「お話ししてみたかった」と来てくださる方の多くは「自分にはまだこうしなくちゃいけない!と自分を縛ってしまうことがあって。」とか、「随分自分なりにいろんなワークやカウンセリングを受けてやってきたので、以前の私に比べて生きやすくはなったんですけど。でもまだ根本的なところが残っている気がして・・」とお越しになったりします。
その時に私がお話しするのが、この「理解」と「納得」の違いです。
感じればいいのか?というだけでもない。
冒頭に私のランチ会では私から何かを「感じ取って理解する方が多い」と書きました。
それは、「まだ理解」の方が多いという意味でもあります。
気持ちってほぼ1つの感情しか感じないことの方が少なくて、「喜び88%驚き10%おそれ2%」みたいに、ここまで数値化できなくても複数の感情が相まって同時に存在することがあります。そしてその大部分を占める感情を「私は喜んでいる」って判断したりしますよね。
なので、感じるということももちろん、全てが感じることに集中できることって意外と少なくて、瞑想だったりをする時間をとるのは、その没頭するくらいまでに感じることをしたくて、やるわけです。
なので、普段そこまで深く感じることはそう多くないため、「感じる」と「理解」があるのはイメージしやすいかと思います。感じていることを客観的に自分で見つめているような感じ方をされると思います。
これは強度もあって、すごく客観的要素が強い場合もあれば、思考として言語化する程度の客観性であることもある。ただ、この場合どちらも「理解」でしかないのではないでしょうか?
一方で、「納得」については私はもう少し感覚的な部分が大きいと捉えているんです。
職場でやりたくない仕事でも直属の上司に説得されても納得できなかったことが、その上の部長から丁寧に説明を受け説得されたら、「まぁ、仕方ないかな。そこまでいうなら・・・」と納得する。なんて経験はないでしょうか?
これは「相手から納得させられた」ように感じますが、「こんなに偉い人が自分にそこまで熱心に伝えてくれるなら」ということを感じて、「自分の価値をみてもらえた」「認められた」と感じて納得することも多いですよね。
なので、内容としては直属の上司も、部長も同じことを繰り返し伝えているだけのようでも、自分のために普段接さない人までも、「やってほしい」とお願いしてくれる。ここに違いを感じる人もいる。
この時に「納得」していると、行動までの流れがスムーズだということに気づいてみて欲しいんです。
ここが「知っているだけ」「理解する」との大きな違いだと私は思っているんですね。
もちろん理解して、行動に移すこともできますが、その場合「次はこれを行動に移すんだ」と、タスク管理のように、「次にこう」「そのあとはこれ」と、何かをコツコツこなしていくような時だと思います。
でもこれはすごく思考的なアプローチなので、人生を変えるとか今までの価値観をひっくり返すなんて時にはとても遠回りなアプローチになったり、もしくは「やることはわかっているけど、なんだかやる気が起きない」という抵抗を感じてやめてしまうなんてことにつながっていきやすいんですね。
その点「納得する」ということに直結しやすい「感じること」ができると、「やりたい!」「やってみよう」という動機づけになるので、そこから「何をすべきか?」を探すようになります。
この順番で行くと、行動までのやる気がすでにある状態なので、スムーズに動くことができるということ。
あなたの知識を納得に変えるためには「経験する」が必要
では本を読んだり、ブログを読んだりして得た知識がすでにある場合、どうするのがいいのでしょうか?
実はここでよく耳にするあの言葉が大切になります。
まず動く。
何度も目にし、何度も「またそれかよ」と思った方も多いかもしれない「動く」というのがここで出てくるのですが、これは「タスクを処理する」という意味での動くではなく、「心が動く経験をする」ということ。
心が動く行動と言うと、なんとなく「素晴らしい経験」「感動的な体験」をイメージしやすいのですが、そうではなく「絶対やりたくないこと」「やればいいと思うけど、なんか一歩踏み出せないこと」も、「心が動いている」と言うことなんです。
少し話が脱線しますが、よくセミナーやカウンセリングでお話しすることの中に、「何も感じないなら、それもおっしゃってくださいね。何も感じないということを感じているわけですから。」とお伝えします。
つまり、「やりたくない」を感じていると言うことでもあるし、「これ意味あるの?別にやってもいいしやらなくてもいいくらいの気持ちだけど、やる必要ある?」って言うのも、それを感じていると言うことなんです。
混乱しますよね笑
じゃぁ何をやるべきなんだ!?って言いたくなる方も多いと思います。
感じたまま動くって「いい気持ち」だけじゃない、全てを感じたままに動いていいんです。
動くといウト「ワクワクして動くといい」「心の思うままに動くのがいい」と思う方もいらっしゃると思うのですが、私はまずは「どんな気持ちでもいいから、感じたまままず動いてみる」ってことを最初のうちはお勧めしたいんです。
ワクワクするところまで自分の本音と繋がることができてから、動けるなら一番いい。
でも普段すごく思考的で、「こうすべき!」「これが正しい」そう思って動いている人の多くは「自分の本音」って言われてもなかなかピンとこない。そう感じることが多いのではないでしょうか?その状態で「ワクワクしないから動かない」というのは、本当にそのものに関心がないのか、心に響いていないだけなのか、わからないんですよね。
だからまず動いて感じる、というのを私はお勧めしているんです。
やってみたことには感じる気持ちを自分で掴みやすくなるから。
やっぱり嫌だった、何も感じなかった、意外と面白かった、怖かった、ホッとした、などなど。
やってみるからわかることがある。でもやる前から「きっと意味がないことだから」「損したくないから」「今更そんなことをやる年齢でもないから」「誰かにバレたら怖いから」、その理由をスルーして「行動しない」ではなく、まずそれを「感じること」を大切にしてほしいんですよね。
嫌な気持ちを感じるならそれも感じてみて「なんでこんなに嫌なんだろう?」というところを見ていくと、実は今の自分ではない過去の自分の恐れや不安を理由にしていることだってあります。
あなたが学生時代、バイト代でやりくりしていた時に感じたことと、今のあなたが感じることは違うはずなのに、実はやりたくない言い訳の中にはこのやりくりしていた時代の「もったいない」を引き継いでいたりすることって結構あります。
だからまずはどんな気持ちでも動いてみる。すると、「あれ?意外と今の自分なら簡単にできるじゃん!」なんてこともわかるんです。これを「まず心を見て・・・」ってやるより、動くことですぐにわかること。感じることを丁寧にやるって何も黙々とじっとしてやるだけではないんです。
勇気を出すことで現状が変わる。その勇気を育てるのは恐れを感じて真摯に向き合うこと。
癒しの過程の中には時に勇気が必要になります。
勇気を出すということは大抵、不安や恐れが前にある。その不安や恐れを感じていても、そこを勇気を出して一歩進むという過程を踏むことがあるんですが、その時に不安もおそれも感じていないと勇気を出すこともできません。
当たり前のように感じますが、このネガティブな感情から人は無意識に逃げてしまうこともあるんです。だから、逃げている間は勇気を出そうとしても向き合うものが見えていない状態ではできませんよね。
だから感じることってとっても大切なんです。
これは知識として知っているだけでは絶対に得られないもの。問題を前にしたら、「こういうときはこうすればいい」そういう答えがあればいいのにって思いますよね。私だって今もそう思うことはあります。
でもだからこそ、「この先に進んでいきたい!」そう思う幸せや夢に対して、その前にある恐れや不安を感じながらそれを勇気を持って進んでいくために、感じることを諦めないでほしいんです。
かつては感じることで自分が振り回されてしまった。結果的に周囲の人を巻き込んでしまった。そんな風に思っていると感じるのが怖くなると思います。でもまずは「自分が感じるままに話すことができる場所を持ってみる」そこから始めてみてはどうでしょう?
あなたがすでに感じることが怖いと感じているんだと話せる場所。
私はあなたが自分の感じる気持ちを大切にできるお手伝いができると嬉しいなと思ってお待ちしております。