「女の子で生まれてくれてよかった」って言われたかった

私は三姉妹の末っ子。父と祖父は「今度こそ男の子!」と思っていたんです。
そんなちょっとしたことが、私の根底に「女の子の私じゃダメなんだ」と言う小さな小さな痛みをつくりました(誤解だけど)。でも、やっと長い長い時間を経て、最近「女の子で生まれてよかったね、私」と思うことになりました。
最近はメイクもファッションも男女問わず当たり前に楽しめるようになってきたし、女の子だからよかったことって何?って思うことも増えたけど、もっともっと大きな愛に本当は守られていたんです。
「なんやまた女か。」と言われ悔しかった母
冒頭に書いた通り、祖父が私が生まれた際何気なくいった言葉に母は傷ついたんだそう。
でもその話を聞いた私も密かに傷ついていました。
女の子である私は求められていなかったんだ。
小さな頃の私はそんなふうに、言葉を受け取ってしまったんです。だから私の中で「男に負けない」ではなく「この私が生まれてよかったでしょ?」と言う証明のために頑張り続ける人生が無意識にスタートしていた。
それに気づいたのは、40歳になって始めた「根本裕幸さんのお弟子講座」の中でのカウンセリングでした。
「いくらみんなに褒められても、私は自分がすごいとは思えない。」
その一言から、いろんなことに答えていくうちに見えた、小さな頃に感じた「自分の女の子として生まれたから価値がないんじゃないか?」と思ってしまった出来事。
その後もあれこれと女の子をやってみるものの、なかなか自分の中で「やっぱり女の子でよかった!」と思うことは少なかったんです。
女の子で得なことって何?
夫が亡くなって、喪失感が大きかった私はそこからやっと1年以上経って、「自分の癒しにコミットしてこれから向き合っていく!」と決めて、いろんなセミナーやワークに行きました。
そこで深く、多くの人と一緒に癒していく中でいろんな仲間も増えました。
そんな仲間との話の中である時ふと「私、親からあなたが女の子に生まれてくれてよかったって言われたかった。」って出てきたんです。
やっと素直になったとも言えるんですが笑、やっと「男がよかったじゃなくて、私が女の子でよかったよって言って!」と言う声を拾うことができたんですよね。
そこから、というかそれって私自身が「あー私、やっぱり女の子に生まれてよかった!」って思えない限り受け取れないよなぁと思い、仲間の人たちに「女の子でよかったこと教えて!」って言ったんです。
- 他人から警戒心や不審がられにくい
- 体力なくても許される
- 弱くても許される
- 泣いても許される
などがあり、なるほどなーって思いながらも、でもあとちょっと「あー!なるほど!!」感が欲しい!!って思っていた矢先、男性性と女性性の愛情表現の違いについて話すうちにやっと腑に落ちたんです。
夫の愛情を受け取ることによって見えてきたもの
夫が亡くなってから、カウンセリングの中で夫からの愛を何度も受け取っては泣き、夫を想っては泣きと、たくさん愛を受け取ることをしました。
自分の中では後悔でしかなかったことを「あなたの前でかっこいい旦那さんのままでいさせたのはあなただよ」と言ってもらうことで、「そうか。。男性ってそういうものか。。」と思うこともありました。
そんな風に少しずつ「男性性の愛し方」を受け取れるようになっていたからこそ、男性からの「女の子でいいこと」についての意見がすごく納得し始めたんですよね。
女の子たちが「弱くていい」と思えるのは、その分男性たちが「それはこちらの仕事」とばかりに請け負ってくれていたから。
それも当たり前のこととしてやるのが男性性の愛し方のような気がするんです。
例えば、「この人のために今自分は何ができるだろう?」と自分を差し出す時、女性性豊かなタイプの皆さんはちょっとわかると思うんですけど、ずーっとやってるうちに「ちょっと!!私、こんなに頑張ってるのに!!わかってるの!?あなた!!見てくれてるの?!この頑張りを!!」って言いたくなりません?(私は秒でなる方笑)
でも男性性の愛情って結構それを見返りなく黙々とやる、黙々と「愛を差し出す」って気がするんです。相手が気づいても気づかなくてもそれが相手の未来や今の笑顔につながるならそれでいい、とばかりにせっせとやってくれる。
これに気づいた時、「私がどう思おうがその感男性たち(男性性豊かな人たち)はその間、これは俺がやること、と当たり前に守ってくれていたんだ。」と思った時、世の中全ての男性性の愛に感謝したくなったんですよね。
私が女の子です!!って主張しようがしまいが、彼らは当たり前に「重いのは俺が持つんだろうな」とか、「遅くなる仕事は男の方がいいだろうな」と変わってくれていたりやってくれていたこともあるかもしれない。
それに気づいた時、「私はすでに女の子として愛されていたんだ」ってことを受け取ることができました。
そして同時に、男性と同じように働いて頑張る女性たちもまた、自分の得意ではない方の愛情表現に合わせて頑張っている人たちなんだなってすごくどちらがいい悪いではない、凄さを感じたんです。
女性だから損をした、と感じることももちろんあると思います。
でも細やかに気づく女性だから男性たちが知らないうちに与えていた愛を受け取れるのかもしれない。そう思ったら、女性性の細やかな愛情表現と男性性の与える愛情表現が本当はうまく噛み合った時、本当にお互いが満ちていく愛情の循環が生まれるんだろうなぁと思います。
女の子に生まれてよかったと思う「出来事」がないように見えても、実はそのかげでもしかしたら愛を与え続けてくれる人はいつもどこかにいるわけです。そう思ったら、世界から女の子は守られているのかもしれないなと思うこともできるのかもしれません。
傷つくこともあるけれど、愛を受け取ると決めることで受け取れる愛もまた、どこかにはあるかもしれません。そして男性性の愛情を受け取るきっかけになった夫からの愛を受け取ると言うのは「その時」にできなくても、時間を超えて受け取ることもできるんだと思います。
そんなことに気づくことができた、今回の「女の子に生まれてくれてありがとうと言ってほしい」と言う私の小さな頃の痛み。これからも女の子のままで愛されていたことを見つけられるといいなと思います。