怒りを出す
俳優式感情解放ワークショップに参加しました!約4年ぶりくらいのワークで、4年前よりワークの中身がパワーアップしていた分、私もまだまだ抵抗があるって感じる部分もはっきりしてきました。
でも同時に私の中の光もどんどん見えてきたんです。
普段の生活なら抑えることの多い「怒り」
会社員時代、私はしょっちゅうイライラしているってことがありました。
何度も自分の怒りの感情に飲まれて「いい加減にしてよ!」と言いたくなることもあったし、「こうすべきでしょ?」と周囲の人に怒っていた時期もありました。
自分の中にある「正解」。
ここから外れた人を許すことができなかった、そんな時期があったんです。でもそれをぶつけても相手は変わるどころかひどくなる。時には自分が悪者にされて、反省を促される。
なんでなんだ!!とそこにもまた理不尽さを抱えていたんです。
でもそんな怒りを今回は「目の前のペアになったこのワークでのパートナー」にぶつけます。
怒るのはその目の前の相手、ではなく過去の許せない誰か。
今回、ワークのパートナーに特に何かされるわけでもなく、過去の自分の怒りに焦点を自分で当てていきながら、自分の中の「怒り」の感情をワークでのパートナーにぶつけるということをします。
何もしてないのに怒りの感情を自分から拾っていくというのは、普段なかなかしないこと。
わざわざ過去をほじくり返して、今何もない時間に怒りを感じようとするので、ちょっと戸惑う方も多いと思います。特に「怒り」という感情を過去の私のように「常に我慢しなくてはいけないもの」として扱っていると「今怒ってないから、怒りなんてないけどなー」って思っちゃうんです。
でも実は「怒り」はカウンセリングでも「過去の怒りがまだ感じられていないから、目の前のことに怒っている」と見ることがあります。
カウンセリングの中でもいろんなお話を聞く中で、「これってずーっと誰に言いたいことだったの?」って聞くこともあるんです。
- どうしていうことが聞けないの?
- なんでそんな中途半端な仕事でお金もらってるの?
- なんで当たり前のルールさえ守れないの?
そんな怒りの中には過去の自分自身が誰かに怒られて悲しかったことや、誰かに言われて恥ずかしかったこと、誰かにいつも言われるからとびくびくしていたことなどの感情が詰まっている。
だからカウンセリングをしながら、「この人が本当に怒りをぶつけたい人って誰だろう?」と話を聞くこともあります。でもそんなのわからないって思う人もいれば、大抵は家族や両親、兄弟などに怒っていたという人も多いんです。
今回のワークは特に怒っていることがなくても、過去の怒りの感情に対して「この人」との間に芽生えていた怒りを選んで1人に絞ります。
例えば、母親、父親など、1人に対しての怒りを、このワークのパートナーにぶつけるわけです。
私は参加しながら「怒りがそもそもないなー」といつも通りの抵抗を出しながら笑、それでも怒りの感情を自分の中に探しながらワークを受けさせていただきました。
ネガティブな感情の反対側が見えてくる。
今回のワークをしていて私は言いたい相手って誰だろうというところからスタートしました。今まで長らく父に「私をコントロールしないで!」と怒っていたけど、それももうだいぶ怒りの感情を感じなくなってきた。
そういえば、母に寂しいと言えなかったり、もっと構って欲しいと言えないで拗ねていたなぁと思い出して、その怒りをぶつけることにしたんです。
他の参加者たちが感情を大きく動かしていく中でどんどん自分が書けなかった言葉が、ワークショップの中で出てくる親和性を感じながら、私の心もどんどん動いていきました。
それは母に対してのみならず、夫、自分自身など、いろんな怒りを反映しているようにも感じました。まだまだ私の中には怒りが本当はあるんです。でも自分では見つけきれなかった。
でも今回は私は過去の母に対しての怒りを感じながら伝えていました。
怒りにフォーカスを当てて、いろんなことを思い出すうちに私はある自分の口癖が出てくることに気づきました。それは退屈や諦め、拗ねを感じている時に出る言葉。「遠くへ、もっとどこか遠くに行きたい。」というもの。
「遠くに行きたい」が変化する
「遠くに行きたい」というのは私の心の中の口癖の1つ。
これはいまだに残っていて、無気力な気持ち、恥ずかしい気持ち、罪悪感、諦め、いろんな感情を感じて「もうここにいたくない」と思った時、出てくる言葉。
私自身はこの心の口癖が出る理由に気づかなかったとき、言葉をそのまま鵜呑みにして、いろんな場所に実際に行くこともありました。
どこかに行けば、その先に新しい何かがあって「それが私に幸せを感じさせてくれるに違いない」。
そんな気持ちがこの言葉に宿っていました。どこかここじゃないどこかなら、私はもっと幸せになれるのに。昔から嫌なことがあるとよくそんなことを考えていたからその癖も残っているんだと思います。
これは私の中の「依存心」の言葉。誰かに遠くに連れ出してほしい。私をここから救い出してほしいという依存心なんです。
そんな言葉が怒りを感じながら書いていると、主催する方からこう言われたんです。
「今度は力を取り戻す必要がある」という言葉からスタートしてそのまま感じること。
ぜひワークショップで味わって欲しいので、あえて内容は抜粋していますが、このキーワードが私の怒りの中にある本当は見たくなかった光を照しはじめました。
もっと遠くまで光を照らしたい。
私は自分の中に今1つの夢があります。それは「一体感を作る」ということ。
それは2025年のゴールデンウィークに受けた270人の4日間のワークショップの感動からきています。
270人なんて想像もできない人じゃなくていい。まずは6人くらいからでもいいから、「一体感」を通して癒しを起こしたい。
GWのワークショップからそう思い始めていたのは自覚していたのですが、コツコツ叶えていく夢のような感覚で描いていました。
「まずはグループワークの経験が圧倒的に足りていないだろうから、グループワークにもっと出てみよう。」
そんな大雑把な方向性は決めながら、必要なものは都度手にできるはずだ、そんな風に考えていました。
でも「力を取り戻す必要がある。」という言葉には、その先の未来にやりたいことが続いていく気がしたのですが、そこにはこの夢への決意とその先の具体的なその時感じてたい感覚さえも出てきたんです。
「遠くに、もっと遠くに。私は力を取り戻す必要がある。なぜならもっと遠くまで光を届けることができるから」という一文が出てきたんです。
人は自分の未来を知っている。
「ん?やな予感・・・」とちょっと冷静な私はのちに思いました。
今まで「順当に」「コツコツ進めばいい」と決めていたはずなのに、「力が戻ればもうできる」という前提の言葉が自分の中から出てくる。ということは自分は知っていたんですよね。
もう私はやれる。あとはそのための力を取り戻すだけだ。ということを。
怒りは「二次感情」といったり、「感情の蓋」という表現をしたりします。
怒りの下には本当は感じたくないけど、感じている感情があるんです。
それは人によって違うけれど悲しみや不安、不満などいろんなものがあります。
でもそこだけを見るわけではなく、その奥にある「恩恵」があるんです。
そうまでして自分が自分に与えた試練がある、という考え方をした時、その不安や不満は誰かを癒すギフトになるかもしれない。
そしてその本質のパワフルさに、自分自身が「私にはそんな大それたことはできない」と感じるほどに「恩恵をみつけたくない。みつけたらやらなきゃいけないことに気づいちゃう。」と、隠そうとします。
そして感じたくない感情を使って恩恵に気づかせないわけです。その感じたくない感情をさらに怒りで蓋をしている、というくらいかなり厳重に自分のギフトは隠されているわけです。
私はずーっといろんな人に「お前はいつか何か大きなことをやり遂げる」と呪文のように言われることが多かったけれど、特にかしこい学校を出たわけでもめちゃくちゃ大きな金額を動かすような仕事をしたわけでもなく、
むしろミスをして大迷惑をかけてしまっていろんな人に助けてもらうことのほうが多かったんじゃないか?というタイプでした。
だから、「そんなことあるわけない」とずーっと思っていたのに、とうとう「私は遠くに光を届けたいんだ」と飛び出してしまったわけです。
正直、ワークをやった後「やられたー!!」ってなりました笑。
40年以上隠してきたものに気づいてしまったじゃないか!!!という感じ。
その後、主催してくださった方とも「場づくり」についてたくさん質問させていただき、自分が何をもっと勉強するといいのか、それをどんな人に届けるのがいいのか?などたくさん気づきがありました。
主催の方にも「うっかり見つかりました」とお伝えすると、「後もう少しで枠が取れそうだからもっとこのワークやったら?」とご提案いただいたけど、そこはまだ怖いのでマイペースに笑。
もっと色気が出てもっと枠からはみ出た生き方してるのに、なぜかかっこいいなあの人って思われる人生を歩める人だと言っていただき、ますますクリアになっていく自分像。
楽しみでもあるけど、やっぱり怖いなーとも思います。でも4年前に比べてどんどんワークから逃げなくなっていく自分の成長も感じているから、このままコツコツやっていきたいなと思います。
もっと遠くへ、もっと届かせるために。
今後はこれがいい意味での口癖になるように。

