【ココロノマルシェ】スマホがやめられません
ココロノマルシェに寄せられたご相談
もう何年も同じことを繰り返しています。
時間があるとついスマホばかり見てしまうのです。
仕事をしている日はお昼ごはんを食べるときに見るくらいですが、仕事が終わってからは電車の中でほぼずっと見ています。
更に帰ってから寝るまでもスマホを見ている時間が長いです。
主にSNSを読んだりブログを読んでいます。
目のためにも良くないし、それを読んでいたって自分のいろいろな時間が削られているだけだと思っています。
でも読むのが好きでやめられないのです。
こんなに長年やめられないのは、もしかしたらこれは心の問題なのかと思い始めました。
仕事ではストレスがありますし、不満をいつも抱えているわけではないですが、人生が充実しているとは言いがたいです。
スマホを見ている間は自分がないがしろになっている気もしています。自分のことを考えなくて済む、という感覚があります。
昔読んでいた新聞はほぼ読まなくなってしまったし、電車の中で本を読むのが定番だったのに、本を読むこともかなり少なくなりました。
この習慣を改めないと、いろいろなものを失ってしまうような気がします。
スマホと適切な距離を取れるようになりたいです。もし目に留まった方がいらっしゃったら、アドバイスをいただけたら幸いです。よろしくお願い致します。
ココアさん
自分を責める癖、持ってませんか?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
ココアさん、ご相談ありがとうございます。
スマホをついみてしまうという方は多いと思いますし、私もその一人です。昔は電車の中で何も持たない人も多くみましたが、今はスマホを手にしてる方の方が多いくらいですよね。
音楽を聞くのも、情報を得るのも、物語を読むのも、動画を見るのも全てまかなえてしまうので、「ただスマホを見ている」という言葉でまとめてしまうと、大半の人がなんらかの形でスマホを見ているんだろうと思います。
では今回、なぜココアさんがそう思うに至ったのか。そこには「自分を責める理由を探している」ということはないでしょうか?
スマホを見るのが好き!と認識しているけれど「やめなくてはいけない」と思ったのはなぜでしょう?
好きなことを突き詰めるといいなんて話がありますが、私が小学生くらいの頃、テレビゲームが大流行しました。
そのときは「いくら好きでもゲームなんてなんの役にも立たないんだから、やらない方がいい」って言われてたんですよね。
確かにその時代に「いつかテレビゲームで俺は食っていくんだ!!」とか「私はこのゲームで人生を変えるんだ!!」っていう、希望を持てた人って少なかったと思います。
その頃はゲームをやった先につながっていく未来を誰も想像できなかったからだと思うのですが、今はもう「eスポーツ」という分野が確立され、ゲーマーというのは一つの職業になりましたよね。
では今のスマホやその他の「やっても無駄」と言われているものについてはどうなんでしょうか?
これもきっと私たちが今想像できない形でいろんな進化を遂げていく未来がないとは言えないわけです。
そうでなくてもきっとテレビゲームができる前は「読書がすきで本の虫なんて言われてるけど、あなたそんなことして将来は大丈夫なの?」って言われていた人もいただろうし、「車が好きだからといってエンジン音を聞いただけで機種がわかったところで・・・」なんて言われていた人もいただろうと思います。
つまり「何者かにならなくてはいけない」という思い込みと、「何者か」というのは「自分の生活費を自分で稼ぎ出せる人」という縛りがあって、それに現段階で予想が立たないものについては「そんなことしても意味がない」という言葉に変わってしまうんだろうと思います。
でも「好き」って気持ちのエネルギーって物凄く大きいので、意志の力を大きく超えていくことがあります。
感情が動いた時のエネルギーは、思考で考えたことを遥かに超えてしまうことって多いんですよね。
人前で大声で歌いながら泣くことって普段なら恥ずかしいことだけど、ライブ会場を見渡せばそんな人はたくさんいますよね。
そこまで大きな感動ではなくても、「好き」という気持ちは意外と私たちを普段から突き動かすエネルギーの一つだと思うんです。
では、どうして禁止したくなるのか?
カウンセリングの場であれば、ココアさんに直接「どうしてスマホを見ている時間はダメだと思うんですか?」というところをじっくりお聞きしたいところなのですが、
今回は相談文から抜粋させていただくと
- 目のためにも良くないし、それを読んでいたって自分のいろいろな時間が削られているだけだと思っています。
- この習慣を改めないと、いろいろなものを失ってしまうような気がします。
ということが主な理由かなと思うのですが、ここで私はおそらくもっと突っ込んだことをお聞きすると思うんですね。
「色々な時間が削られるという、その色々な時間ってなんですか?」
「習慣化すると色々なものを失うっていう、色々はなんですか?」という部分です。
もしかしたら「勉強する時間」「自己成長に当てる時間」なんかが出てくるのかもしれませんが、この相談の時点では「漠然のとした不安」だったのではないでしょうか?
その漠然とした不安を「スマホを見ているからだ」と自分を責めていませんか?
漠然とした不安についてはじっくりネットリカウンセラーを選んでやってみるのもいいと思うのですが、この「自分を責める癖」については「実はこれが一番改めたい習慣なのでは?」と思ったりしております。
スマホは見てもいい!って決めたら何が怖いですか?
おそらく、ココアさんはSNSを見てもいらっしゃるし、本やニュース的な時事ものもスマホで見ていらっしゃるかもしれませんね。
最近では新聞やテレビやラジオを聞いてないと世間の流れについていけないなんてこともありませんし、そもそも「全国民が同じ情報ソースを使ってる」ということさえ、最近は無くなってきていると思います。
で、あれば。
スマホを見て「どうしていけないの?」と私は思ってしまうんですね。
スマホから何を得ているのか?について、「世界情勢」「今後の日本の動きについて」とかじゃなくても、「最近流行っているダンス動画」「よく動画に使われる音楽」「日本の古い歴史の裏を暴く眉唾な動画」というエンタメ要素が強いものであっても、「流行を知る」ということや「今人の関心を集めるものに敏感にアンテナを張っている」とも言えますよね。
そして、それが好きなのであれば「好きこそものの上手なれ」ともいいますが、そのままやっていてもいいのでは?と思うんです。
そう言われた時、ココアさんはどんな言葉が浮かぶんでしょう?
でも・・だって・・それは・・・と言いたくなることが出てきたら、一度ノートに書き出してみてもいいと思います。
案外脳内で駆け巡る言葉たちって、数日おいて振り返ってノートで見た時に矛盾点に気が付くことって多いんです。
なので、まずは「自分の好き」についても、「それに対する反論」についても、両方をノートに書き出してみてはいかがでしょうか?
そしてそこから見えてくる本当は何に怖がっているのか?について、解決したいと思ったら、その時がタイミングなんだと思うので、そのときにピンとくるカウンセラーなどに会って話を聞いてみてはいかがでしょうか?
自分の好きに自信が持てない理由を外から持ってくるのではなく、実は自分が自分の一番の見張り役になってしまっていないか、一度確認してみてくださいね。
スマホから何を得るのか、そしてそこから何を得て、どう自分に還元していくか?を考えていけると、もっともっと情報についても精査して「選んでいく」ということが面白くなってきたり、その情報をどう自分に取り込むものと取り込まないものとに区別していくか?なんかを考え出すと、意外と私は止まりません笑。マニアックなタイプの方はぜひそんな楽しみ方もしてみてくださいね。