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アート

めんどくさいな・・・と思う理由2

yukanee

最近の私が振り返って思うことと、今もまだ残る「依存の際に出る癖」を振り返って思うこと。

めんどくさいのはエネルギー不足が隠れてる

私のクライアントさんたちはもれなく「エネルギーがたっぷりある」方々が多い。それは血の気が多いとか、ガツガツしているっていうことではなくて、どちらかというと「誰かのために頑張る」ってことに「どこからそんなパワーを出してきたの?」ってくらい一生懸命になれるっていう人たちが多いんです。

なので、誰かのために知らないうちに自分のエネルギーを使うことが優先されていたり、自分に使う量が確保されていなかったり、自分のパワフルさを知らないので、「これだけ自分にかけてあげれば十分!」って思っている量が著しく少なかったりします。

でもそれは「すでに誰かに使い果たしている中で自分にかけようとするから少量になってしまう」っていうことが当たり前になっていて、かつ自分より人に使う時のほうがエネルギーを出しやすいっていう感覚を持っているので、必然と自分にかける量が「まぁこんなもんかなぁ」と少なくなってしまうんですが、私もずいぶんこれをやっていました。

前回のブログで書いたようにお金や移動距離で言えば、エネルギーをかけている。だから「私はご自愛できている」って思っていたけれど、その中で何を得ていたか?というと「夫との時間」「2人の思い出」「誰かに話すことでその誰かともまたワクワクすること」と、自分の内側の満たされていく目的とは違い、「誰かが喜ぶことで初めて自分も嬉しく感じる」っていうことをしていたんです。

だから自分で行きたい場所を選んでいるようで、目的地は相手も楽しめる場所でなくてはいけないし、相手の好物がある旅館やホテルなら安心だし、行き先を「え?どこそれ?」っていうところではなく、みんなが知っている場所やその場所のまだ知らないことだったりする方がいいわけです。

おかげさまで、そういうリサーチ力はめちゃくちゃついたんですが笑、でも私にかけるエネルギーは実際にはそんなに大きくなかったんですよね。

めんどくさいのは誰かの不機嫌も背負っている

そもそもエネルギーがたんまりある方は生きる戦略の中で、「自分のエネルギーを他人に使うことで繋がりを感じて生きていく」っていうパターンを持っている方が多いと思います。

ある方は親の親代わりをしたり、ある方は家族を背負っていたり、ある方は家族の中の調整役をしていたり。そうやって家族の中で自分の立ち位置を見つけていくわけですが、まだ体も大きくなく、できることが限られていたり、それこそ社会に出てお金を稼ぐなどができないくらい小さい時などはそこで自分をどう仲間にしてもらうか?、必死に模索していたはずですよね。

その中で感受性が強かったり、誰かが感じないようにしている辛さや悲しさ、不安、恐れをかわりに感じることで相手と繋がるっていうことを知らないうちにやっているということもあります。

例えば、「本当は私も親に可愛がられたいのに、妹ばかりを可愛がる親に我慢ばかりさせられてきた。だから私は「我慢を感じること」で親と繋がろうとしていた。」ということもあるし、「親が寂しさを感じられないから子供に過干渉過保護で関わってきた。かわりに子供は親から離れそうになると寂しさを感じるのでそばにいていい子を演じ続けていた。」ということもあると思うんです。

そうなると自分の感情ではないものまで背負うことが当たり前のところからスタートしているので、自立の段階でこの2つの感情がぶつかります。

自立して私だって好きなことをやりたい!と思う一方で、でも私がこの感情を感じなくなってしまったら、親が可哀想。親はこれを感じられないから、私がかわりに感じていたのに。

そんな気持ちになって、親から信頼を持って自立していくというのが難しく感じることがあります。

そしてその親との間で持っている背負うパターンは社会に出た時に同じように我慢癖や寂しさを感じて誰かの言いなりになってしまうというパターンを繰り返してしまうんです。

だからどこかでいつも疲れやすいし、自分にかける余力なんてない。そもそも自分の力がそんなに誰かのために使っているなんて思ったこともない、という人もいると思います。

めんどうから抜け出すには

私もまだまだこのパターンを全て手放した!とは言えないところもあります。

自分が寂しい時、不安な時、悲しい時などはつい「相手とのつながりを求めたい」という気持ちが出てくるもの。でもその時にその繋がり方が以前知っているやり方で繋がろうとするため、つい「我慢」「寂しさをかわりに感じる」などの犠牲と呼ばれるやり方で繋がろうとしてしまいます。

でもそこでは過去と同じように「またこうなった」と感じるような問題も一緒に連れてきてしまうわけです。でもそれでしかつながり方がわからない。そう思っていたら、問題があってもやり過ごして繋がりをメリットとしてそのままでいいやと続ける場合もありますよね。

それが「モヤモヤ」や「なんとなく嫌だけどよくわからない」という原因になっている場合もあります。いわゆる「わからないはわかりたくない」と心理学で言われるような、気づいてしまうとメリットまで手放さなくてはいけないのでは?と感じ、心が「そうじゃない!」と防御しようとしているんです。

めんどくさいから抜け出す具体的方法

まずは自分の感情を認めていくというのがおすすめです。

「いやだな」って感じた自分のこと。「こんなことしたら可哀想」って感じた自分のこと。「どうしてわかってくれないの?」と感じた自分のこと。「あいつ、なんなのよ!!」と感じた自分のこと。

それらを「誰かにかわりに感じてもらう」のではなく、まず自分が認めてあげることが大事になります。実はここでつまづくことって多いんですよね。

  • こんなことして変わるの?という「焦り」
  • それよりも私はもっとこうなりたいの!という「怒り」
  • 早くやってよ!という相手への「期待」
  • 自分と繋がることが怖いと感じる「恐れ」
  • 自分が惨めに感じる「恥ずかしさ」

そのほかにもいろんな今まで感じないようにしてきたものをたくさん感じるようになります。だからやりたくないって思っちゃうんですよね。

でもこれをやるためには「本当は自分はどうなりたいのか?」っていう欲も重要になるんです。どんなに馬鹿馬鹿しく思えても、どれだけ子供っぽく感じても、ずーっと描いていた心の中にあった夢。それをやるためにまず自分の心と向き合ってみる。ここがとっても大事になってきます。

どうしてここが大事なのか、それについては次の記事に詳しく書きますね。

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