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【ココロノマルシェ】優しい雰囲気を出してるみたいですが、それがかえって痛い思いをします

yukanee

ココロノマルシェに寄せられたご相談

こんにちは。いつも楽しく見させて頂いております。

私の雰囲気について、ご相談させて下さい。

私は沢山の人から優しそう、とよく言われます。
唯、人によっては何言っても良さそう、他の人には言わないような暴言を言われます。
酷い時には、そんなんだから舐められるんだ!もっと強くなれ!と言われた事もあります。

逆にそういった人達が責められたら、言い訳したり尻尾巻いて逃げていたので、「?偉そうに言ってたのに?」と衝撃を受け、頭が痛くなりました。

私も言われっぱなしは嫌なので、たまに武道派らしく言い返した事もあります。ひるむ人もいれば、予想外に痛い所をつかれたのか余計にヒートアップする人がいました。

言ってはいけない事を、ハッキリ言わないと分かんないんですか?と突っぱねたくなります。でもいちいち反応してるのもアホらしく、優しい雰囲気は私の長所でもあるし、隠したりするのも何か違う気がするし…

色々考えていたら疲れてしまいました。
こういった時、どのように考えたり、感じた方がいいのか、皆様の知恵を教えて下さい。
よろしくお願いします。

むっくさん

自分のまま、そのままで「在る」という「出きった杭」になりましょう。

ゆか姐
ゆか姐

姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。

むっくさんのご相談を見た時、私もそんな感じのことがあったなぁと懐かしくなりました。特に男性に私の場合はこういう言動をされることが多く、また一部の女性にも同じようにされたこともあり、「一体どうしたらいいんだよ」という、モヤっとした気持ちを抱えてきたことがあります。

でもそういう「個性」については、何よりも「そのままで在ると決める」のが、心地よいことなんだなと最近は考えています。そのままで在るとは、そのままの自分で存在すると決めること。

誰かに言われたこと、何かの目にあったことで自分を変えると決めてもいいし、何を言われようが私はそのままで存在すると決めてもいいと思うのです。

問題の裏には才能がある。ということは才能の裏は問題にもなり得る。

元も子もないじゃないか!と言われてしまいそうなのですが、ここでお話ししたいのは「どう物事を捉えるかについては自分で決めること」ということをお話ししたいんです。

スター性のあるいわゆるカリスマ性がある方はそのカリスマ性があるが故に、孤立感を感じやすくなります。

例えば、学校のクラスに世界規模で活躍している人などがいると、なんとなく遠巻きに見てしまうってことは想像しやすいかと思うのですが、なんとなく周りが「自分とあの人は違う」と感じてしまうので、周りとの距離が生まれてしまいやすくなりますよね。でも当の本人からすれば、自分は自分なのに、なんとなく周りは自分に対してよそよそしいと感じることになり、孤立感を感じます。

他にも、受け答えがはっきりしていて、声も通りやすいタイプの方は、周りは「あの人いつも元気そうだよね!」「いつでも爽やかな人だよね」と思われる反面、落ち込んでも「まぁ大丈夫でしょ!いつも通り元気な方がいいよ!」と言われて、なかなか自分の落ち込んだ気持ちを理解されにくいと感じることもあると思います。

つまり、これらが「才能と問題」の両面を抱えた個性ということになるわけですが、この両面のどちらとして捉えるか?は自分で決めることができます。

「カリスマ性があるから、みんなが私をちょっと避けてしまいやすいのね。じゃぁ横並びの関わり方ではなくて、ファンとスターのような関わり方を考えてみよう。」ともトライできるでしょうし、「落ち込んだ姿を見たくないっていうけど本当は私だって落ち込むってことはわかっていてほしい。でもそれでも普段は元気な人ってイメージなら、誰かを応援したりするとその人も元気にする力が自分にはあるかもしれないんだ!」とも捉えられますよね。

自分のいい面しか見せてはいけないということもないし、自分のいい面を無理に受け入れなくてもいいとも思います。

両方あるのが私だし。個性にはそもそも両面あるんだし。と、その両方を受け入れ、そのままの自分で在るということは可能です。なぜならそれは「自分次第」だからです。

問題はそもそも自分が「問題」と捉えるから問題になる。

友達と話をしていてこんな違和感を感じたことはないでしょうか?

Aさん
Aさん

ねー、今度旅行に行こうよ!国内でちょっといい温泉にでも浸かって、普段よりゆっくりした日程で近場を回るっていうのはどう?美味しいものを食べて、旅館も少しいいところで、ゆったり過ごそうよ!

Bさん
Bさん

うーん、でも今月ちょっとお金使いすぎてるから、旅行行くのは少し先にしたいかな。3ヶ月先ならいいよ!

Aさん
Aさん

え〜?そうはいっても、毎月お給料もらってるんでしょ?貯金崩したり、家族にカンパして貰えばいいじゃない!

Bさん
Bさん

いや、そうじゃなくて、社会人になったんだし、自分のお金で遊ぶのが基本でしょ?(なんで人のお金の使い方まで口出してくるんだろう。そもそも親にお金もらうなんて・・)

これはそもそもどちらが正しいという話でも、どちらがいいという話でもなく、「貯金を崩してまで遊ぶ」ということの価値観の違いや、「社会人になっても親にお金をもらう」ということに対しての価値観の違いによってモヤモヤしたり、なんだかこの友達と合わなくなってきたなあと感じたりすると思います。

でもこうやってみてみると、Bさんは友達と合わなくなってきたと感じることもあると思うのですが、果たしてこのことを「問題」とみる人ばかりか?というと、「まぁこういう時もあるよね。他のことではAさんと気が合うし。旅行の件はサクッと断っておこう」と思う方もいらっしゃれば、「なんかもうAさんとは合わない感じがするし、旅行なんて一緒に行く気にすらならなくなってきちゃったな。。もう連絡取るのやめようかな。そもそも昔から私って友達とこんな風にどこかでうまくいかなくなるんだよなぁ。」と感じて、それをカウンセラーに相談しようとしてくださる方もいらっしゃいます。

これは「本人がこれを問題だと捉える」というところからの分岐点によって、そこから先の解決策が変わってくるのだとも言えます。

では今回の件はどう見る?

問題を問題と捉えるかどうかは自分次第ということをお伝えしましたが、では今回のむっくさんの件についてはどうなるのでしょうか?

「優しそうに見える」というのはむっくさんの個性だということはむっくさんもすでに受け入れられている通りだと思います。

そこからさらに「どう在りたいか?」について、まだそこを決めかねていらっしゃるのではないでしょうか?

  • 優しそうに見えるということは自分の個性。でもあれこれ不快なことを人から言われるのは嫌。
  • かといって、自分の長所である「優しそうに見える」という部分を見えないようにするのもなんだか違う感じがする。

と書いてくださっていた、そのままの在り方でいると「決める」のはどうでしょう?

つまり、私は優しそうに見えるけど嫌なことは嫌だとはっきりいう時もあるし、かと言って舐められる言われもないと思っている。ということをそのまま受け入れた上で、そのままで在ると決めること。

誰に何を言われても、優しそうに見えるという相手の判断に対して自分から何かするわけではないけれど、それによって自分に対して暴言や言わなくていいことまで言ってくるのなら、それについてはきっちりとお話しすることもありますよ、と自分の心の中で決めておくだけでいいと思うのです。

それって「そのままの自分でいる」と認めることですよね。

そのままでいる!と決めるということは、そういう自分のこともそのまま受け入れるし、自分の個性を理解した上で、リスク面でどう対処するか?をも決めておく、それによってそれ以外のことについては反応したりしないと線引きしておくということになります。

これが「出過ぎる杭は打たれない」というのと同じだと思うんです。

出過ぎる杭が打たれないのは、「自分はここまでやる」と自分に対して決めているから、他のことに動揺したり、感情を揺さぶられることがないから、そのうち打たれなくなるということでもありますよね。

「あの人は優しそうだけど芯はしっかりしている人だよ」

と言われるようになれば、無闇に暴言や忠告をしてくる人も少なくなるのではないでしょうか?

宜しければ一度「そのままで在る」ということを決めてみる。

試してみてくださいね!

ゆか姐
ゆか姐

そんな私は実もなかなか「いや〜、、でも〜」なんて自分の存在を決めきれない時期もありました。そんな時は自分の価値が受け入れられていないときでもあったなぁと思います。自分の価値ってなかなか自分ではわからないこともあります。

決めきれない!というときはカウンセリングなども使ってみてくださいね。

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