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仕事の責任感ってどこまで持つの?

yukanee
ゆか姐
ゆか姐

姐さんカウンセラーの 根本 ゆかです。

仕事をしていると責任について、「どこまで?」と思ってしまうことがある。無責任に見える人もいれば、そんなことまでやる必要が?と思うこともある。

そんな時、心理学ではどのように「責任」というものを捉えているのか?を本日ご紹介!

仕事を長くしていると出てくる「責任」について

仕事を一人で任される様になると出てくる、「これはあなたの仕事なんだから、最後まで責任もってやってください。」という意見。

もしくは、後輩を教育したり、何かを教えている時に相手に発されてドキッとする「これは私の仕事ではないからやりたくない。」という無責任に感じるような発言。

または、上司が言う「最後の責任は上司である自分が取るものだから。」なんていう言葉。

こういうことが働いていると、日常的に色々出てきたりして、ふと「仕事に対しての責任って一体どこまでが自己責任なの?」と考えることもあるのではないでしょうか?

そしてこれが気になる人ほど、実は「責任」と言うものを大切にしている方なんだろうと思うんです。

責任ってそもそもなんだろう?

私がカウンセリングを学ばせていただいた、師匠でもある根本浩幸さんは責任についてこんな風に書かれているんですね。

責任とは取りたくなるもの – 根本裕幸nemotohiroyuki.jp

「責任とは取りたくなるもの」

正直私、最初この文字を会社員時代に読んだ時、「いや、それは無理」って秒で頭に浮かびました笑。

でも読んでいくとなるほどなぁと言う部分と、いやそれでもやっぱりやだって言う部分が出てくるんですよね笑。

そこで私なりにもう少し、因数分解してみようと思います。

責任という言葉に何を感じているのか?

例えば普段、責任が重い仕事をされている方や、もしくは責任を誰かに問われるようなことが多い方などは、私のように責任について「取りたくなるもの」と言う言葉に、嫌だなって感じるかもしれません。

それは「責任を負うこと」についてのネガティブなイメージを日々感じることが多いからですよね。

  • あなたのせいで!
  • あなたが言うから。
  • 私じゃない。あなたが責任を取る役割だ!

なんて言われていて、「押し付けられている」と感じていたり、「自分は非力なんだ」と言うことをこの責任という言葉に感じることが多ければ、「取りたくなる」とはなかなか思えませんよね。

でも、責任というものを改めてフラットに見るということは、自分の今の責任についての価値観を改めて見直すということにもなると思うのです。

責任とはそもそも何だろう?

責任という言葉について改めて見直すときに、私は辞書を使ったりします。

それは「その言葉についての自分の感情がくっついている」ということがあるので、そのまま言葉を見直してもその感情に気づかなければ、言葉を捏ねている状態で意外と物事を冷静に見つめることが難しいから。

なので、ここで辞書を使って「責任」というものの定義を見てみると、こう書いてあります。

① 責めを負ってなさなければならない任務。 引き受けてしなければならない義務。

② (━する) 事を担任してその結果の責めを負うこと。 特に、悪い結果をまねいたとき、その損失などの責めを負うこと。

責めを負う。

ならば、責めって何なんでしょう?

物事の結果に伴い、自分の責務として生じた苦労や厄介ごとを引き受けること。 

ここまできてもしんどいなぁと感じる方も多いかもしれません。

私もここまでは会社員時代、調べて「うんざり」って思っていたんです。

じゃぁ取りたくなるってどういうこと?

責めを負う、苦労や厄介ごとを引き受けるのが責任を負うことなら、それがやりたくなるってどういうこと?と思いませんか?

私はここが心理学の面白さだなぁと思うのですが、これって「やりたいことだと簡単にやっていること」ということに気づけると、案外すんなり理解できることでもあるんです。

例えばあなたが大好きな推しがいたとします。

その推しは大人気で今やワールドツアーなどにも参加するほど、チケットも入手困難な状態。

でも推しのライブに行けば、生の推しをみることは愚か、同じ時間に同じ空間に同じように推しを愛する人たちと一体感持って過ごす楽しさがあるわけです。

ライブで生の推しを愛でたり、ファンが一体感を持って推しに声援をかけていたり、推しからもファンへの愛を生の声で聞ける。そんな楽しいライブ!絶対に行きたい!!と思うけど、チケットが取れるかどうかは全く不確定ですよね。

そんな時に「責任を負うこと」ってすんなりやっていると思うんです。

チケットを取るための苦労や厄介ごと(いろんなサイトで申し込みをするとか、サイトのアカウントをいくつも持つとか、ファン同士で交流を持って情報交換をするとか)色々、手を尽くすことが「当たり前にやりたいこと」だったりします。

そして、運良くチケットが取れれば嬉しいしもちろんそのための努力を惜しまないけれど、時によってはチケットが取れなかったなんてこともあるかもしれません。

それは自分のやったことの責任を負っている、と言えるんですよね。

責任を負えない、負いたくないという気持ちを見ないふりしていませんか?

ライブが・・推しが・・というと、「それは好きなことだから。仕事はそうはいかない。」と思う方もいらっしゃると思うんですね。

それって「仕事についてそこまでの好きではない」という気持ちを、見ていないから「責任を負いたくない」ということに、どれくらいあなたは気がついていたでしょうか?

私はこれに気づきたくなかったから、師匠である根本さんのブログを読んだ時悶々としたし、もやもやしたんです。

だって「責任を負いたくない理由に気づいたら頑張れない」って知っていたから。

本当はもう限界だった。

本当はこれ以上やりたいことなんてなかった。

本当はもっと楽しく働きたかった。

そういう気持ちを自分自身で見ないふりをしていたから、責任を「取りたい」なんて思えなかったんです。

気づくことで未来は変わる。

未来を変えたくない。

そう思っていたから、見ないふりをしていても、心ってパワーがあるんです。

だから、ブログを読んだり、本を読んだりして「ざわざわ」「もやもや」「グラグラ」「イライラ」させて、「ここに見ていない感情があるよ」っていうことを教えてくれます。

気づくと全てが終わってしまう。

そんな風にも感じるかもしれません。

でも全ての終わりは全ての始まりでもある。

あなたが今の気持ちを聞くことは「あなたが何を望んでいるのか」を知ることでもあるんです。

望むことを叶えていく人生がそこから始まるかもしれません。

そこに怖さを感じるのは、あなたが自分の価値や魅力、頑張ってきたことを自分自身で評価できていないのかもしれません。

あなたが責任を負いたくないまで頑張りすぎていたのかもしれません。

一度、自分の心の中の自分の声に耳を傾けてみると、そこから「あなたが本当に生きてみたかった人生への入り口」が見えてくるのかもしれません。

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