【ココロノマルシェ】仕事と自分を切り離したい
ココロノマルシェに寄せられたご相談
こんにちは、はじめまして。
なにかヒントを掴みたく、投稿させていただきます。
新卒からずっと同じ業界で勤め続け、今の会社は勤続13年のベテランなのですが、いつまで経ってもクレーム、怒られることが怖いのです。
お客様からの「不具合を直してほしい」という連絡や、「あれはどうなっているの?」という問合せ、手掛けた仕事について上司から「もっと上手にやれたんじゃない?」などの指摘ですら怖いです。
「私があのときああしていればよかったのに」と自分を責めてしまい、ダメだなぁと落ち込みます。そして冷静な改善対応ができません。そのためか同じようなミスを繰り返し、怒られるのが分かるから報連相も後回しにしがちです。
勤務時間外にも届くクレームのメールを見ると、本当に気分が落ち込みます。下請けに対するクレームや不可避のものでも同じように胃が痛くなります。同僚は同じ状況でも淡々と滞りなく処理ができるので、とても羨ましいです。
業務内容自体は好きですが、クレームが苦痛すぎてしんどいです。
なにか抜け出すヒントを頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。
まずは今感じたことを受け入れていきましょう。
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
ミッチェルさんがクレームについて落ち込むということは、当たり前だと思うんです。多くの人が怒られたり、クレームが入れば落ち込んでしまいます。なので、まずはそこについては「まぁそりゃ落ち込むよね」と自分の気持ちをそのまま受け入れてみましょう。
線引きを意識するために、感情のまま反応する前に一呼吸おいて線引きを意識して、感情の決定権を自分に戻しましょう。
ミッチェルさんのご相談の題名に書かれているように、「線引き」することが大切なのですが、この線引きについては「自分が感情の主導権を持つ」という線引きを意識してみてください。
仕事と自分を線引きすることの必要性はすでにご自身で感じていらっしゃると思うのですが、「どこをどんな風にすればいいのか」というところで困っていらっしゃると思います。
おそらく「怖い!」という気持ちが自分の中に沸いた時に、その怖いという気持ちに飲み込まれてしまうという感覚だと思うのですが、その感情を選んでそう感じているのも実は自分なんですね。
何か別の仕事をしている時、ミッチェルさんはその作業自体には怖い気持ちもなければ、業務内容自体については好きだと感じているのであれば、その時の気持ちは比較的リラックスして仕事をされている状態だと思うんです。
でもそこに連絡や上司からの指摘によって、「怖い!」と感じてしまうんですよね。
ここで、線引きができていない時はこの沸いてきた感情に対して「そう感じさせられている」という感覚があるのではないか?と思うのですが、「どの感情にフォーカスを当てるのか?」は自分で選ぶことができるんです。
線引きをするのは、自分自身。その時必要なのは「自分で決める」ということ。
自分で決めるということは「意志の力」が必要になります。
感受性が強い女性性が豊かな方は、その感受性の豊かさゆえにいろんなことを感じるのですがその時に男性性の意志の力というものも合わせて使わないと、感情に飲まれるということも少なくないと思います。
- 感じたから仕方ない。
- そう思うから、そうだ。
ではなく、仕事中に指摘やクレームに対しての怖いという気持ちに飲まれることで、報告などが後回しになり、自分の仕事のサイクルに悪影響があると思うのであれば、「私はどんな気持ちで仕事をしたいのか?」を意志の力で選び取っていくという必要があります。
それを簡単に言えば「線引きする」ということだと思うんですね。
今回のミッチェルさんのご相談は「仕事と私」との間の線引きですが、これが「他人と私」であっても、「彼と私」であっても、「親と私」であっても同じことです。
通常仕事している時のような気持ちで仕事をする!とまず決めることが必要なんです。
あなたが「クレームによってそう感じさせられている」のではなく、「私はどうしたいか?」に集中する。
クレームは確かに嫌な気分になりやすいものです。上司に怒られることも悔しいと感じたり、ただただ怖い!と思うかもしれません。
もしかするとミッチェルさんは自分に集中することを今までしたことがないのかもしれません。ここで、ご自身に集中していただくために幾つかの質問をしたいと思います。
- 怖いという気持ちをいろんな感情の中から自分が選んで感じていることだとしたら、ミッチェルさんはその中から「怖い」という感情を本当に選びたいのでしょうか?
- 怖いという感情を選んで感じることで、何を得たいんだと思いますか?
- もし自分の中の様々な感情の中からどこに集中して、どの感情にフォーカスするかを自分で選べるなら、どんな感情を選びたいですか?
- 怒られても、自分を責めなくなるとどうなってしまうと思うのでしょうか?
ここまでの質問の中には今回あえて、過去のご両親との関係性や、できごとを踏まえずにお聞きさせていただきました。それは「自分に集中する」ということを味わってみてほしいからです。
自分を責めることはあっても、こんな風に自分に集中することはなかなかなかったのではないでしょうか?
責めるのではなく、まず自分がどうしたいか?だけを、「誰にどうしてほしい」以外の言葉で、じっくり考えてみてほしいんです。
自分から問題にどう向き合っていくかを決めるために。
自分を責めることのメリットの一つに「自分で決めなくて済む」ということがあります。
「怒られている私が悪いんだ。」という気持ちの中には、「自分でどうするか?」は、実は入っていません。
解決策の中にも「相手に怒られないため」の策を考えることはあっても、自分がどうしたいからかという策はなかなか出てきづらいと思います。
でもそれは今までやってこなかったから。
ただそれだけです。やってこなかったのなら、今からトライしていけばいいと思います。経験として回数を重ねてやっていくうちに、どうしていきたいのか?が見えてきます。
そうなって始めて「線引きをする」ということが、感覚的にも掴みやすくなるんです。
まずは「自分で決めること」を決めましょう。
線引きの一歩目はそこからだと思います。
感情に飲まれないためには、自分の軸をしっかりと持つことでもありますが、軸をしっかり立てるのは他でもない自分の意志の力がとても重要になってきます。
だからこそ、まず初めの「自分で決めるんだ」という意志を持つことが大切です。感情は感じるから仕方ないと、自分の感情の手綱を誰かに渡すのではなく、しっかりと自分で掴むこと。
そこからやってみてくださいね!
今回はなかなか耳が痛いお話だったのではないでしょうか?でもここまで読んでいただけたなら、もうまず最初の1歩は踏み出そう!と決められているはず。その1歩を踏み出せれば大丈夫です。線引きするために必要なのはその意志の力なので、まずはその1歩を踏み出した自分を誉めてくださいね!