「誰かと話したくなったらそっと開く本」e-book発売中!
カウンセリング

「決める」と言うのはコントロールとは別物。

yukanee
ゆか姐
ゆか姐

姐さんカウンセラーの 根本 ゆかです。

私が普段からこちらでお伝えしている「決める」と言うこと。

これは「コントロールすること」とは実は違うんです。

以外と「私、決められてると思います!」っておっしゃる方の多くは「状況のコントロールができている」と言うことに近いと思います。

じゃぁ私がここでお伝えしている「決める」ってなんなの?と言うことをご説明しますね!

「決める」って言うのは感情と意志の力が必要。

決める。

自分で何かを決めると言うのは何かを選択すると言うのとも少し違うんです。

ここでお話ししている、「決める」と言うのは、結果がどうであれ「やりたい」と言う気持ちと、「やる!と決める」と言う意志の力の2つを合わせて「決断する」と言うことに近いです。

結果がわかっていて、どちらかを選ぶのでもなく、「自分がやりたいこと」と言う気持ちの部分での自覚と、それを実行するという意志の力をプロセスの段階で決めるということ。

「こうしたら過去、うまくいったからやると決める」

「こうしたら褒められるだろうからやると決める」

というのではなく、「やりたい!試したい!気になる!』という自分の気持ちがあって、それを優先すると意志の力で決めること。

なので、自分が普段どんなことを感じているか、しっかり普段から自分の気持ちを汲み取ろうとする意識が必要です。

自分が何を感じているか、意外と鈍感になりやすい。 

日本に住んでいると常識の中に「相手を思いやる」というものが根付いていると思います。しかしそれをあまりに小さい頃から教えられるため、自分がどう感じるか?ということよりも、相手に不快を与えないか?を先に考えるようになってしまうことがあります。

自分の気持ちを認識した上で、相手の気持ちを思いやり、双方にとって気持ちの良い解決を探す。そのために「相手を思いやれる」という能力は大切なんですが、それ以前にまず自分の気持ちを知るというところが先に出てこない方が多いんですね。

なので、まず自分がどんなことを普段から感じているのか?

そこにも「これは周りもそういう人が多いから思っても良い」「こんな気持ちはきっと不謹慎だから思うなんてだめ」そんな風に、感じたままを自分でキャッチするということについて、無意識に判断し、感じていないことにしているものも実はたくさんあるんです。

あなたは「働きたくない」って本気で思っていると宣言できますか?

友達との食事の席で、給湯室の雑談の中で、カフェスペースの立ち話で、「もう働きたくないよね」と言い合うことはあると思います。

仕事に疲れたな、と感じることは意外と認められている気持ちなので、それを誰かに話すことはできる。でも「本気で働きたくないんだよね。私は。」って言い切れるでしょうか?

おそらくそこには罪悪感や、そんなことを言ったらどう思われるだろうという人目を気にする気持ちや、「働きたくないと言いながら、でも働かないと仕方ないよねって暗黙知までがセット」と思っているのではないでしょうか?

でもあなたの気持ちの中には「働きたくない」っていう気持ちは、時にそれ以外考えられないほど大きくなることもあるのではないでしょうか?

それは小さい願いだった「働かなくてもゆっくりできる時間がもっとあれば良いのに」という、自分の気持ちを聞いてこなかったことで、積もり積もった気持ちが大きくなったに過ぎないのです。

最初の気持ちは「辞めるってことまでは考えてないけど、この仕事やりたくないから、ちょっと2〜3日ゆっくり休んで、仕事のことを忘れたい。」っていう気持ちだったのかもしれません。

でも、勤続年数がこれくらいだから、今の仕事について長いから、今の役職としては当たり前だから、と自分の気持ちを無視してきたのではないでしょうか?

決めることはまず自分の気持ちを認めるところから始まる。

少し厳しい言い方をすると「なかなか決められないんです」とおっしゃる方の多くは、この「決める」ということができないケースが多いんです。

私もかつて、同じように思っていたので、自分としては精一杯やっている!という気持ちになることも、これ以上私に何をやれっていうの?と思ってしまう気持ちも理解しています。

でも実は「決められない」という気持ちの中に、「誰かに決めてほしい」という依存心を自分で認められないでいるということがあるんです。

これが「自分の気持ちをどんな気持ちも自覚する」というところでもなかなかハードルが高い部分だと思います。「自分はいい歳だしそんな誰かにどうこうして欲しいって思ってるわけじゃないし、自分でやろうと思っているけどやる気が出ないだけ。」、かつての私もそんな風に思っていました。やる気さえ出れば私がやるつもりだから、別に誰かに頼ったりしたいなんて言ってない。そんな風にも思っていました。

でもその「やる気を出す方法を誰かに見つけて欲しい」と思っていることは、自分のことを誰かに委ねたい、誰かに自分を引っ張り上げてほしいという依存心なんです。

ここで大切なのは「依存心は悪いものではない」ということ。

なんとなく依存心というと、「できません。」「やりたくありません。」「私は知りません。」という無責任なイメージや、幼い子供のような未熟なイメージがあるかもしれません。

私たちは、子供時代に周りの大人に育ててもらわないと生きれない依存時代があり、その後反抗期などを経て自分で何とかする自立時代に入ります。その時に自分でできるんだ!という自信と、自分で思い通りにする楽しさを知る反面、あの時の私の甘えたい気持ちを誰も汲んでくれなかったという傷ついた依存心を奥に隠して持っているんです。

なので、「やる気を出してほしい」と誰かにお願いしたい気持ちが実は依存心であると言われると、「いや、違います!私は本当に自分でなんとかしたいと思っているんです!」って言いたくなるんです。

でも本当にここで意思の力を使って「決める」ということをする場合、まず自分の依存心も認めるということが大切になります。

余談ですが、依存の子供時代、自立の青年期、その次に来るのは、周りの人と助け合う「相互依存」という世界になります。相互依存とは言葉の通り、お互いに依存心を満たすということになりますが、子供時代の依存とは形が少し違っていて、なんでもべったり一緒にやって!というものではなく、できないことについては相手に「お願いしたい。ありがとう。」と素直に助けを求めることができる依存の形を指します。

つまり、また依存心を使って人とつながっていく世界になっていくんですね。

だから自分の中に依存心があることをそんなに嫌わなくて大丈夫。依存心は人と人を繋ぐ大切な気持ちの一つです。その新しい使い方を知るためには、まず「自分の中の依存心に気づき、それを受け入れること」も大切なプロセスなんです。

助けてください、とお願いするためには「決める」が不可欠。

自分がやりたいという気持ちを大切にすることについてお話ししてきましたが、それが自分一人ではどうにもうまくいかないということもありますよね。

  • どうしても今日のライブには18時には会場についていたい。でも17時に任された仕事がまだまだ終わりそうにない。チケットもとっているしいい席だし、絶対に見たい。

そんな時、「お願いします。助けてください。」と誰かに仕事を変わってもらうためには、「私は絶対にライブに行くんだ!!」と決める必要がありますよね。

ソワソワしている自分を見て、誰かが「どうしたの?」って声をかけてくれないかなあ?と待っているだけでは18時の会場入りには間に合いそうもありません。

もちろん周りだって仕事が暇なわけではなく、自分の仕事や他にも頼まれた仕事があるかもしれません。

でも、私はライブに行く!

と決めない限り、絶対に行ける要素はない。そういう状況ってありますよね。

社運をかけたプレゼンの日に新幹線が遅れた。タクシーも長蛇の列。みんながイライラしながらタクシーを待っている。でも自分は「絶対にプレゼンの時間に間に合わせる」て決めないと、タクシーを譲ってもらうなんてことありえないわけです。

他にも、子供が熱を出してどうしても帰らないといけない。どうしても母の手術の付き添いに会社を休まないといけない。いろんなシュチュエーションの中で、その時その時の「決める」必要性があります。

あなたが決めるから、現実が動くわけですがそのためには「助けてください」と言えるくらいまで、自分のやりたいことを「決める」という意志の力が必要なんです。

ライブの日だからと説明しても理解してもらえないかもしれないという恐れや、自分だけ遊ぶために人に仕事を押し付けたと思われるかもしれないという怖さを超えて、「それでもライブに行く!」って決める必要があります。

これは「自分で決める」ということでしかなし得ないんですよね。

決めることはその責任も負いながら、自由も手にすること。

決めるということはもちろん自己責任ということはセットです。だから人によっては「誰かに決めてほしい」という気持ちが出てくるんだと思います。

  • 環境のせいでうまくいかないんだ
  • あの子のせいでうまくいかないんだ
  • 私ではどうしようもない、でもお金を払えばなんとかしてくれるでしょ?
  • 自分が今までやってきたことは全部やった。あとはもう知らない。

これらは実は「決めていない」という状態です。

特に下の2つについては「え?これでもダメなの?」と感じるかもしれませんが、「決める」というのはあくまで「主体性」が必要なんですね。自分で決めるということ。

お金を払って誰かに頼むというところまでは、自分で決めていても「あとはよろしく!」とお金を払えばあとはその人がなんとかするという時点で、自分で決めるということから責任が抜け落ちているんです。お金を払うと決め、その人に依頼したとはいえ、その結果についても自分で決めたこととして責任があると思えるところまでが「決める」なんです。

また、自分が今までやってきたことをやったというのも同様に、それ以上になんとかしたいという思いがあれば、今までと違うことをやると決める必要もあるでしょう。

ここまで読むとすごくストイックに思えるかもしれません。ある意味、自分の責任を負い、自分で決めるということは時にストイックな部分もあるかもしれません。しかし、その先にある「どうしたいのか?」については描き方は自由です。その自由のためのストイックさであり、責任なんですね。

なので、自由であればあるほど、自分で決めるということも本来は楽しく、こうしたい!こんなことできたら最高!って感じられると思いませんか?

旅先での自由さは、いろんなリスクを負う覚悟を持っていろんなチャレンジの上で得た経験をしたことがある方は、その時に「自分で決めたこと」は本当にストイックだと感じたでしょうか?

おそらくそれよりも「ここについたらこうして、次に電車でここに行ってこれを食べる!美味しいって書いてたし、写真見ても本当に美味しそうだし絶対食べたい!」そんな風にしか考えていなかったのではないでしょうか?

しかし実際には乗る電車が普段と違って調べた時より改正されて本数がすごく少なくなっていたり、あんなにいろんな雑誌やネットで大絶賛だった美味しそうなお店は、写真より大幅に少なくて味も対してそこまででもなかったとしても、「ここまで無事にきて、料理を食べるという目標を達成できた」ということのプロセスへの達成感や幸福感を感じ、思い出しては友達と笑ったり、人に話すネタにしたりして、一つの経験として面白かった!と言えるものに消化できていたりしなかったでしょうか?

決めるってそういうものなんです。

旅などは「やりたいこと」「行きたい場所」「経験したいこと」がかなりはっきりとしているので、イメージしやすく、またそのプロセスを含めて「旅」と思っているので、そこでの失敗もある意味「そんなこともあったよね」って笑えたりします。

でも自分で決める旅はそれはそれで格別ですよね。

行きたい場所だけに行く。泊まりたいホテルに納得してお金を支払う。ルートやそこへどうやっていくか、全てを自分で調べてやるにしても、その全てがしんどくて面倒でも「どうしてもそこに行きたい」と思うからこそ、なんとかやれる。そしてルートが完成した瞬間、すでにイメージの中では旅プランを一度周到して少し行った気持ちになる。

そのワクワクが「決める」ってことです。

そこに「誰かに決めてほしい」「行きたい場所を見つけるまでのやる気を誰かに見つけてほしい」なんてこと、ありませんよね。

ストイックというよりは、夢や目標にどうやっていこうかとその自由度を楽しめる。

だから「こうなるだろう」という、結果を先取りするコントロールとは全く別のものなんです。

何度も行った旅で良かったからまた行きたいと思ったとしても、そのプロセスは楽しめますよね。自分が行きたいところがあと2駅先に見えてくる!って思うだけでワクワクする。

そんな気持ちはコントロールとは別です。

決める。

難しいようで実はあなたも何度かやったことがあるはずです。

なので今、決められないと思うなら、自分の気持ちを見直してみること。自分の依存心に気づくこと。その上で「やる」と意志の力を持つこと。

それらを見直しながら、決めることを楽しんでみてくださいね。

自分の気持ちがなかなか見えないという時はカウンセリングがおすすめです。私とお話ししながら、あなたの気持ちを一緒に探っていきましょう。

ゆか姐に初めて会って話すのは怖い!まずはどんな感じか話してみたい!という方は個別でもオンラインお茶会という形でお試ししていただけますので、一度お問合せフォームからお送りください。

Xからの読者コメントをお待ちしています。
ブログ更新の励みになります!
記事URLをコピーしました