【ココロノマルシェ】自立できるようになりたい
ココロノマルシェに寄せられたご相談
はじめてリクエストさせていただきます。
僕は33歳のゲイの男です。
僕は約5年程ニートの状態です。
実家暮らしなので生命維持はできてます。
一度も正社員で働いたことはありません。
新卒の時は面接すら受けられませんでした。
面接でボロッカスに自分を否定されるんじゃないかという思いが強かったです。
仕事へのイメージも悪く、苦しくがんばらないとお金は得られない。
自分には収入を得る力がないようにも思えます。
物心ついた頃からいじめられてました。
小、中学校はひどく、高校でも最終的にハブられました。
大人になってからも職場で嫌がらせを受け、
誰にも助けてもらえず辞めざるを得ませんでした。
そこからズルズル。
最近人から、いじめたくなる魅力があるんじゃないかと言われました。
優しいとはよく言われますが、ブチ切れると自分でも大変なくらいなので、
嫌がらせを受けてやり返すとなると、
法に触れる方法を取ると思います。
父親はいますが仕事で実質、母と姉との母子家庭状態でした。
僕自身、ゲイであること自体は良いことだと思っていて、この3人にはカムアウト済みです。
普通に仕事を続けて自立できるようになりたいです。
アドバイスよろしくお願いします。
ヨシさんの「男性性」のイメージってどんなものをお持ちでしょうか?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
ヨシさんは自立したいと言う気持ちと自分の中の男性性について少し嫌悪している部分がおありではないでしょうか?
過去のいじめの出来事、仕事が忙しく疎遠な父、知り合いの「いじめたくなる」と言う発言。これらを淡々をお書きになっているところを見ると、本来はすごく自立的な方なのではないか?と感じるんですね。ご相談文の中に感情表現が少なく、感情を押し殺しているという方が適切なのかもしれません。
だから自身のゲイということについてプラスに捉えているという言葉が、男性性が持つ攻撃性を繊細な部分である女性性に向かなくて済むからよかった、というニュアンスを含んでいるのかなぁと感じてお読させていただきました。本来のご自身の感情はもっと攻撃性が強く、自分の怒りについて発散させた場合、法を犯すほどかもしれないということを自分では感じている。けれど、それを表に出すことは繊細な部分である女性性を傷つけるのではないか?そんな風に感じているからこそ、必要以上に自分を押さえておかなければいけないものとしてご自身を扱っているのではないでしょうか?
自分を抑えて自分を小さくするような感覚を持っていると「庇護される」「守られる」というポジションに入るため、自立を難しく感じているのではないでしょうか?
優しいという性質で、誰かの攻撃を引き受けている。
優しいというのがどんな時によく言われるのか、どんなところを優しいと言われているのかなど、実際のカウンセリングであれば色々お聞きしてみたいなと思います。
- よく気がついて先回りして何かをできる人
- 誰かの気持ちに寄り添った発言ができる人
- どんな人の意見にもいいところを見出して、そっとその発言を肯定してあげられる人
- 周りの人のコミュニケーションの行き違いを察知してやんわりとその言葉を通訳して誤解を事前に防ぐ人
こういう人たちもそれぞれに「優しい」と言われることがあるだろうし、この複数を持ち合わせている人が、全般的に優しい人と言われることもあると思うのですが、ヨシさんはどんな時に優しいと言われているかってそのまま、周りの人から見たヨシさんの才能でもあると思うんです。
でも一般的には「それってあなたの才能だよね」という会話ってなかなかなされないので、「優しいね」「いじられキャラだよね」「なんかかまいたくなるんだよね」なんてことを言われたりすると、「これが自分の才能なんだ!」とは認識しづらい部分があると思います。
でも才能って気づかないと安売りしている時にも気がつけないんですよね。
なので、その優しさで「誰かのイライラした気持ち」を引き受けてしまっていたのかもしれません。攻撃する人というのは、自分を攻撃しており、それを投影して周りを攻撃するという捉え方をするので、ヨシさんが誰かの声にならない叫びに反応してしまう方なのかもしれません。
才能は気づいてから、使いこなすまでもとても大切。
ではこの優しい才能に気付いたから、これを使えばいいのか?というとそこにはまだまだ使い方を学んでいくというプロセスがあるんです。
今までは当たり前に「優しさ」を差し出していたことで、自己犠牲としてその才能を使ってしまっていたりすると、その使い方を見直してどう使っていくかが大切になっていきます。才能っていわば、種だと思うんです。
それをどんな風に使い、育てて実らせていくのか?は、才能について知り、才能を使いながら学んでいくことだと思います。
優しいということについての再定義をするということは、才能の持つ価値を多面的に捉え直すということ。
優しいという才能は、周りの人の困りごとを察知するアンテナの感度がとてもいい方が持つものですよね。ということは、困りごとがあるところに行かないと自分の才能って発揮されないわけです。
ニートでいるということ、職場ごとに嫌な目に遭ってしまうことも、「優しさを使う場所」として自ら赴いてしまっていることもあるんです。
- ニートでいるメリットがあるとしたら何でしょう?
- 稼ぐってことをどんな風に捉えていますか?
- お金って他にどんなイメージがありますか?
- お母様は働いていらっしゃいますか?
- お父様はお家でどんな感じですか?
- お姉様は現在どんなお仕事をしていますか?
などを実際のカウンセリングではお聞きしたいなぁと思います。
そこから、「もし今の環境を自ら望んでいるとしたら、何を得るためにこの環境を選んでいるのか?」ということが見えてくるのではないでしょうか?
もちろんヨシさんからすると「望んだわけではない」と感じると思うので、「もし」「万が一」でいいので、その辺りから見てみるとお金や稼ぐこと、仕事へのもっと深い自分の価値観が見えてくるかもしれません。
よろしければ参考になさってみてくださいね。
一見、望まぬ環境のように見えても、どこかに自分の願いが叶っている部分というのがあります。それは「こういう意味ではないんだけど」って言いたくなるような場合もあるのですが、そこを見つけることで今なぜここにいるのか、そして本当はどうしたいのか?も見えてきます。ちょっとしんどく感じると思うので、カウンセリングなどで話しながらやってみてくださいね。