「娘ポジション」を卒業して「情熱の女」になる!
あなたが何歳であっても、実は心の中に「親を意識して良い子でいよう(または親みたいにならないようにしよう)」という気持ちがあるなら、もしかするとあなたのその「娘ポジション」が恋愛や人生のやりたいことへの情熱を止めているのかもしれません。
あなたは今、本当の大人になれてますか?
私は40歳になってから、根本裕幸さんのカウンセリングを学ぶ講座に入りました。
40歳といえば、世間的には「もう立派な大人」。私も自分のことをそう思っていたし、当時は会社員だったこともあって、部下や後輩もいたので、人一倍「大人として恥ずかしくない大人でいよう!」って思っていたし、そう振る舞うために心理学を勉強して実践しているつもりでいました。
でも、カウンセリングの講座の中で私は根本裕幸さんからこう言われます。
「ゆか姐は、結婚しているけど体がまだ実家向いてるね。」(比喩です)
つまり、結婚して表面的には「親元から自立して、社会でも自立しているつもりでも、心がまだ実家の親を見て、親の意向に沿う良い子でいようとしている」って意味だったんですが、当時の私は「なんのことかさっぱりわからない・・・。」って正直思っていました。
それくらい「自覚がないくらい当たり前に親の基準にそう人間」を自分の理想像や自分の恋愛に当てはめていたんです。
のちに、根本裕幸さんのブログの中でこういった状態を「娘ポジション」と表していて、なるほどなぁなんて思ったんです。読み返した時、どれもこれも「当てはまってる!」て感じることが多かったから。
「娘ポジション」って何?
娘ポジションの説明に入る前に、まず私の背景から説明させてくださいね。
私は、父に溺愛される一方で期待をたくさんかけられる三姉妹の末っ子として誕生します。当時はまだまだ「男が家を継ぐ」って発想も当たり前にあった時代。3番目こそは男の子!と思っていた父方の祖父や長男であった父はまたしても女の子でがっかりしたわけです。
ですが、姉たちと年が離れてできた私はいわば孫のように父に可愛がられます。しかし父は昭和の父親。「俺のいうことが絶対!」っていうタイプの父だったので、可愛いがられると同時に「俺の言うとおりにしておけ!」と言う父でした。
家の中でも父がテレビのチャンネルの権利を持っているので、当時はNHKか野球しか流れないような家でした。
そんな父なので過保護過干渉に育てられた私は、父親に可愛がられた娘の持つ特徴を色濃く社会でもはっきします。
- 目上の人(先生や部長)に可愛がられる
- 年上男性に対して怖いと言う思いはあまり強くないので、距離感が近くなる
- 男性を助けたい!と思うので、「助けたくなるような人」を恋人にし、周りからは「もっと良い人がいっぱいいるのに・・・」と言われがち
- 既婚者や年上男性といる方が安心する
- 言うことを聞いてほどよくわがままを出しているが自分で責任をとる場面からはスルッと消える
- なので良いところまで優等生的に出世していくものの、「お前に全て任せるからこの仕事やってみろ!」と言われるのが死ぬほど嫌。
- 女性たちとはうまくやれないと感じ、基本的に女性の方が苦手
- 知らないうちに周囲から嫉妬されてしまい、本人はなぜだかさっぱりわからない
- 結婚したらパートナーが浮気しがち
メリットと思える部分もあるし、「あの嫉妬はこのせいだったのか!!」と思うこともあるのですが、父親に過保護過干渉に愛されて育った娘というのは心の中の彼氏のポジションに父がどっぷりいたりします。
なので、パートナーが2番手ポジションに入るため、浮気したり、逆に自分がなぜか毎回不倫の恋愛になるっていう方もいらっしゃいます。
この特徴を持っている人って結構いると思うんです。そしてそれがまさか「愛されて育ったから」とは思いませんよね?
ただ、ここからさらに娘ポジションの大きな特徴が「大人の女性」を阻む要素があるんです。
それは「責任をとってもらえるポジションから出ないでいい」というメリットを手放せないこと。
一見、「ラッキーで良いじゃん!」って思うかもしれません。でも娘ポジションの時の私は、実は一番葛藤を抱えていました。
なぜなら「本当はもう良い大人なのにいつまで経っても子供扱いしてくる親を見捨てることができない」と感じていたから。
自立は成長の重要なプロセス
誰かに守ってもらえて、責任も取らなくて良いなんて良いじゃん!って思うかもしれません。
しかし「責任」と「自由」はセット。つまり、責任を取らないということは実際は「自由」もないんです。
そこで冒頭の私の話に戻ります。「ゆか姐は結婚してもまだ実家向いてるね」っていう言葉はこの自由のなさを表しているともいえます。
自立して結婚して、本来は自分の家庭を作っていくのに、私はまだ自分の心の中では父や実家の両親の目を気にしている状態だったんです。
毎回親に電話しているとか、しょっちゅう実家に帰るタイプではなかった私。むしろ「うざったいからあんまり帰りたくない。」とさえ思っていました。
親が過保護過干渉な「子供時代と同じような接し方」をしてくるので、普段の私は自立して社会でやっているのに、もう良い歳した中年女性に「ご飯食べたか?」「ちゃんと仕事やれているのか?」と聞いてくるわけです。
いや。そりゃできてるよ!!と言いたいけれど、娘ポジションだった私は言えないんです。
もしくは言っても反抗期の子供みたいに「できてるよ!!」って言ってしまう。
これは「大人と大人の対等性」がないんですよね。一気に「親と子供」の関係性に戻ってしまうわけです。
ではこの対等性がないとどうなるんでしょうか?
長くなったので続きは次に書きますね!