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アート

45歳、「大人なんだから」を置いて全力で遊びました

yukanee

2泊3日、京都の美山で、雪で髪が全部濡れるくらい本気で遊んできました。
「ちゃんとしている私」を優先していた頃なら、選ばなかった時間です。
どうしてそれができたのか、振り返って書きます。

美山のコテージで自給自足の食事と命の体験

普段は関西を拠点にしながら、時々東京へ仕事や学びに出ています。

そんな中、東京出張直前に「ゆかちゃん、京都で合宿するねんけど来ーへん?」と声をかけてもらったことが始まりでした。

東京に2泊3日のつもりで用意していた荷物を、雪深い美山に行くため総入れ替え。正直、ちょっとしたパニックでした。

会社員時代の私だったら「もっと早く言ってよ!」と普通にイラッとしていたはず。でも今の私は「へー。面白そうやん!」って言いながら、姉がくれた雪山仕様の分厚い靴下をカバンに詰め込んで出発しました。

そして美山には夕食前に到着!

ロマネスコにかかっているのは柿とマヨネーズのソース!すごくフルーティーでさっぱりしてて美味しかった!

牡丹鍋。

お鍋用の野菜なのですが新鮮さにみんなが「サラダバー」と呼んでかじりながらお鍋ができるまでサラダ感覚でいただいた大根や天然舞茸、天然ほうきだけ、手作りこんにゃく。(キノコは生でいただいておりませんw)

雪の下から掘り出してきているので、人参も甘いし、大根もジューシー!!こんにゃくもいつもと違う食感!そして麹を使った調味料などで美味しくいただきました!

ジビエ料理だけではなく、普段ジビエでも聞かないような動物までいただいて、みんなで脂身ののり方や色の違い、風味の違いを話しながらいただきました。

きれいに食べようとか、
スマートに見せるとか、
知識を知ってる前提で話すとか。

そんな気持ちが自然と外れていく時間でした。

コテージに戻ってからは、
それぞれの本音をいろんな角度から話す時間。

うまくまとめる必要もなくて、
正しく言う必要もなくて、
ただ「自分の言葉」で話してました。

実はお弟子の先輩、いさこさんも参加。

それぞれが違う視点や経験を持ち寄って話していてやり方も立場もバラバラ。

でも1つだけ共通していたのは『最後は本人が決める』という前提でした。

誰かの正解を押し付けるんじゃなくて、それぞれが自分の言葉で選び直していく時間。気づいたら夜中の2時近くまで話をしていました。

2日目は命をいただく。

ここからは「ハードな内容」が含まれます。写真もあります。命をいただくことに抵抗を感じる方はここで引き返してくださいね。


ではここからは少しだけ命のお話を。

今回の合宿は、「鶏をしめて夜にお肉をいただく」という体験は中心にある時間でした。工程の説明の前にこう言われました。

「途中で怖くて辞めるくらいだったら最初からやらないでください。やめておくという決断をしてください。」

やると決めたなら最後まで見届けること。

その前に「やらないと決める」のも同じくらい尊重されること。

この時点で、もうすでに私の中では揺れていました。

生きている鶏をかごから出し、縛って、逆さにして、しめる。

手順を聞いて、一人ずつやっていきました。
私は最初、どこまで切ればいいのかわからず、皮だけを切ってしまい「弱すぎます」と言われ、2回目でしめることになりました。

正直、

  • もっと暴れるのかな
  • 夫とのことを思い出したらどうしよう
  • 苦しむ姿を見届けられるんだろうか?
  • でもやっぱり最後まで見届けたい

いろんな感情が同時にありました。

やってみようと思えたのは、「強くなりたいから」ではなくて、
そこにいる人たちを信頼していたからだと思います。

もし取り乱しても、この場なら受け止めてもらえるかもしれない。
そう思えた。

昔の私は、不安を感じた時点でやめていました。
「安全かどうか」で決めていた。

でもこの時は違った。

安全だからやる、じゃなくて
信頼できるからやってみる、だった。

これ、私にとっては大きな違いでした。

実際にやってみると、感じ方は想像と違いました。
怖さもあったし、冷静に見ている自分もいた。
でも「正解の感情」なんてどこにもなかった。

合宿を主催してくれた方が言っていた言葉も印象的でした。

「最初は下手で時間がかかった。だから練習した。」

優しさって何だろう。
責任って何だろう。

ちゃんとやるって何だろう。

街中で“ちゃんとしている”こととは、全然違う場所にある問いでした。

3日目は全力で雪山を堪能する

2日目は、捌くのは自信がなかった(鶏は小骨が多くて難しい)ので、私は雪の中から野菜を掘る係に回りました。

お手本で捌いた鶏のお腹から卵が出てきたとき、
私はちょっとハッとしました。

普段「鶏と卵」はセットで思っているのに、
“食材”として見た瞬間に、卵の存在を頭から消していた。

見えていないと、なかったことにする。
これ、日常でもやってるなと思いました。

羽毛で大きく見えていた鶏が、捌くと驚くほど小さいことも印象的でした。
私たちは、見た目の印象でずいぶん判断している。

食事ができるまでの時間、大人たちが本気でソリ遊び。
「どうしたらもっと滑るか?」を議論して試して修正してまた試す。

仕事みたいなことを、遊びでやってました。

夜は、しめた鶏が柚子鍋と参鶏湯に。


弾力も味も、普段食べているものとまるで違う。
ここでも、感じたことをそのまま言葉にして話す時間が続きました。

3日目は、かんじきを履いて雪山へ。

私は朝に散歩していたので、別ルートで雪遊び。
人拓とったり、顔拓とったり、走り回ったり。

指を刺している先にあるのは

綺麗に撮れた顔拓w

かんじきが履き直せず「不器用オブ不器用」の称号をいただきました。

気づいたら髪はびしょ濡れ。
服は雪まみれ。
かんじきは何度も外れる。
履き直してる間に雪玉が飛んでくる

全力で遊びました。

そして実は——
この3日間、到着日と帰り際以外、ずっとすっぴんでした。

前の私ならありえなかったと思います。

雪焼けを気にしていたし、
「人前でどう見えるか」を必ず計算していた。

でも今回は違った。

誰も見てないからいい、でもなく
面倒だからいい、でもなく
バレないからいい、でもなく。

すっぴんの自分の方が、しっくりきた。

ここが一番、自分でも驚いたところでした。

ちゃんとした大人にならなくたって生きていける

 この2泊3日の合宿での私は、
「ちゃんとした大人」でも
「45歳の落ち着いた女性」でもありませんでした。

仲間に「子供やん…」と呟かれながら、
全力で遊び、全力で体験していました。

でも帰ってきて、今は思うんです。

あの時間の方が、
ちゃんとしていた頃よりも、ずっと自分に正直だった

相手にできることはちゃんと伝える。
受け取ったものは、ちゃんと感じ直す。

そのやり取りを重ねる中で、
「信じてみる」を一つずつ選んでいく

不安がゼロだから飛び込めたんじゃなくて、
怖さごと行ったから、体験が経験に変わった

ちゃんとして、間違えないようにして、
周りに迷惑をかけないように生きるのは、立派です。

社会の中で生きる上で、
それが不要だとも思いません。

でももしそれで、
あなたの主語がずっと「周り」になっているなら、
それは少し苦しい。

正解に合わせ続ける生き方もできる。
でも、そこから一歩ずれる体験もできる。

私は、後者をやる場所を作っています。

「ちゃんとしてきた人」が、
ちゃんとしていない自分も出してみる場所。

出してみたらどうなるのかを、
頭じゃなくて体験で知る場所です。

どんな自分を守ってきたのか。
どんな自分をまだ出していないのか。

そこから目を逸らさない時間を、
一緒に持ちませんか。

日時:

①2月28日(土)  14:00〜16:00(終了予定)

②3月1日(日)  14:00〜16:00(終了予定)

※いずれか一日をお選びください。

場所:オンライン

(お申込みいただいた方へzoomをお送りさせていただきます)

定員:各日6名

参加費:22,000円

1月31日まで早期割18,000円(税込)

お申し込み方法:こちらのリンクのお申し込みボタンからフォームに必要事項を入力してください。

ちゃんとした女性を降りる講座【体験講座】

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