【ココロノマルシェ】責任の所在をはっきりさせたい病
ココロノマルシェに寄せられたご相談
薬剤師の女です。夫が転勤族のため引っ越しが多く、色々な薬局や病院に就職歴があります。
この職業を長年やっていて気づいたことですが、私は責任の所在が有耶無耶になるグループ作業はかなりストレスだということです。
大手の薬局や病院ほど責任の所在が割とはっきりしており、誰がこの薬をピッキングして、次に誰が監査して、最終的に誰が患者さんに薬を手渡したか記録に残すことが多いので、何かミスが発覚した時に、どういう経緯でミスが起こったかわかりますが、中小の薬局ほど最後の薬を渡した人しか名前を残していないことが多く、最終的に薬を渡した人に全責任がかかるという考えが多いです。
大手は最終的に薬を渡した人ではなく、薬を監査(薬が合っているか、用法用量は問題ないか併用薬チェック、相互作用チェックもこの段階)した人が一番責任が重いという考えが多いです。
なので薬を監査した人を記録に残さない系の職場に就職した場合は、渡した人に全責任がかかるので、自分が薬を渡す可能性のある処方箋はたとえ他の薬剤師が監査済みであっても、全て目を通して自分が監査して間違いがないかチェックしておきたいのですが、時間と体が足りなくて物理的に無理なことが多いです。
基本的に①ピッキング②監査③薬を渡す人、の分業制になっていますが、私はどこに行ってもこの③を担当することが多いのですが、名前を記録に残さない②の監査者が監査した薬なんて信用できないと思ってしまい、渡す前に自分自身でも監査するのですが、立て込んでいる時や、薬の量が膨大に多い場合は無理です。
「もう監査は他の薬剤師が見て終わってるんだから、患者さんを待たせないで早くサッサと渡して!」と後ろから言われてしまいますので。
この問題は薬剤師関係なく、日本の多くの会社は事勿れ主義というか、犯人探しになってしまうから責任の所在は有耶無耶にしておきたい、みたいな会社が多いと思うのですが、私はこういう責任の所在が有耶無耶なのはどうしても肌に合いません。
でも、よっぽど意識高い大手系の職場に就職しない限り、どこもこういう感じの会社がほとんどで、自分がこの曖昧さに耐性をつけるしかないと思ってもいます。
自分が責任を負わされそうな仕事は全てに目を通しておきたい願望がやめられないのですが、物理的に無理で、できてもヘトヘトになります。
大手のように責任の所在がはっきりしている場合は自分の持ち場だけを完璧にしておけばあとは安心といった感じで、リラックスして仕事ができますが、有耶無耶な職場だとおちおち気が抜けません。
人を信用できない、全てを自分の責任に背負ってしまう、というアダルトチルドレン気質な自分の問題もあると思うので、どう対処したらよいでしょうか。
ナディさん
ナディさんは「どうしたいか?」のイメージはありますか?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
薬剤師という職業上特に薬の処方ミスは命に関わることでもあるので、大変気を使うお仕事だと思います。だからこそ「ミスのないように!」と思う気持ちは強く持つことも、大切だと思っていらっしゃると思いますし、仕事に対しての責任感の強い方なんだと思います。
今回のご相談内容をお読みして、一番最初に「対処というのは具体的な方法を指しているようで、実際は心の持ち方を知りたい」ということなのかなぁ?とも思ったのですが、
もしかするとナディさんご自身の中でもまだその辺り、はっきりとイメージされていないのかな?とも感じました。
ご自身で自分を顧みていらっしゃる中で、頭では「この非効率的な方法以外の良い方法はないか?」と思う一方で、「それならそのまま渡してしまう」という一つの答えがあるんだと思います。
でもそれだと、心の方の「最終確認者の監査の責任が一番重いはずなのに、そもそも曖昧に誰が何をしたかが統制されていない部分がモヤモヤして気持ち悪い!」というような感覚が残ってしまう。
だからこそ「どうしていいのかわからない」という状況なのだと思います。
頭では「このまま渡すためには、この曖昧さに慣れていくしかない」という答えを持っているけれど、「それだと最終的に渡す役割の私の責任の比重が大きすぎる気がする。本来責任は監査部分にあるはずなのに」と納得いかない状況ですよね。
こういった頭と心が逆を向いてしまっているような場合、もしくは頭では答えとして持っているものについて、心が納得していないような場合、心の力の方が大きいのはナディさんもご存知なのかもしれませんね。だからこそ、ココロノマルシェに相談してくださったんだろうとは思うのですが、まず「自分の心の言い分について、しっかり聞いてあげる」ということが大切になってくるかもしれません。
仕事では頭を使うことが多い人ほどより丁寧に心の声を聞いてあげてくださいね。
仕事で頭を使うというのは誰しも経験しているかもしれません。
特に忙しくて、計画的に物事を進めないと回らない、または人数がいつも少ない状況で部署の仕事を回している方など、効率化を目標にしている状態が続くと、私たちはついその延長で「こうすればいいんだな」と、出来事を処理していこうとしてしまいます。
私も会社員時代「これはこうやればいいのはわかっている。でもなんか腹立つんだよなぁ」とか、「こうすればいいことは明白なのに、なんだこの人はやってくれないのよ!あなたのところで止まるじゃない!」など、効率化を優先し過ぎてしまうことが多々ありました。
なので、ついそうなってしまう状況にあることは仕方ないなぁと思う一方で、だからこそ心の声を聞く習慣をつける、またはより丁寧に心の声を聞くということを気をつけていれば、もう少しなんとかできていたこともあったのかなぁなんて今更ながら思うこともあります。
そんな私の反面教師的な部分もナディさんのご相談に踏まえながら、お話ししたいのですが、ナディさんは「自分としては本当はどうしたいか?」を自分の声として認識していらっしゃいますか?
変な質問のように感じると思うのですが、「〇〇したいんだよね・・・。でもそんなこと出来っこないし。」と思っていると、案外「あなたはどうしたいの?」と聞かれた時、スッと言語化できない方は非常に多いと思うんです。
〇〇したい。
という言葉が浮かんでいるにも関わらず、自分がその声を無視してしまう環境に慣れてしまっているが故に、「いや、特にないです。」と答えてしまったり、「いや、別に。」なんていってしまったり。
でも本当は「〇〇したい」という言葉が浮かんでいるので、「こうしたい」という結果のイメージは持っているはずなんですよね。
でも、そこへ行き着く方法が自分ではやりたくないことであったり、自分ではやれそうもないと感じていたりすると、「ないです。」と答えてしまったりします。
私はまずここをはっきりさせることが、自分の声をまず聞くことだと思っているんです。
「大手のように監査の人が責任持って誰がやったのかをはっきりしたい」
がおそらく、今回のナディさんの心の声なんだと思います。
それはそれでまず認めてあげてみてくださいね。
その声を見てあげたからこそ、「はっきりしたいんだよ!!私は!!」って怒ってるんだな、とわかると思うんです。
効率化を進める時って自分の感情より結果を優先するので、感情を置き去りにしがちなんですね。だから、「やりたいかやりたくないか」より「効率よくできるかできないか」に重点を置きますよね。
そうするとやっているうちに「やりたくないことをやっている」という気持ちの面を置き去りにしてしまうので、イライラしたり、ちょっとしたミスや批判などに敏感になる程怒りが自分の中に溜まっていた、なんてことにもなり得ると思います。
ではこの怒り。どんな風に見ていけばいいのでしょうか?
怒りは感情の蓋。その下の感情を感じていきましょう。
怒りは感情の蓋、という言葉があります。怒りという感情の下に実は隠れている感情があり、それを押さえるために怒りを使っているということを指しています。
また、仕事に情熱を燃やしている方や責任感の強い方ほど、怒りの感情はできるだけ見たくないとその存在をそもそも感じないようにしてしまうこともあるので、そうなると怒りの下の感情については、ピンとこないと思う場合もあるかもしれません。
もしナディさんが怒っているとしたら?
私がそうナディさんにお聞きしたとしたら、ナディさんはどんなことが浮かんできましたか?
- もっと体制を整えてよ!
- 監査の人が誰かわかるようにしてよ!
- 渡す人が一番クレーム対応するんだから、ちゃんとやってよ!
- 間違えないで!
- ミスした時に謝ってるのは私なんだからちゃんとしてよ!
などなど、もしかしたらもっともっと出てくるのかもしれません。それらを一度お恨み帳などに書き出してみてもいいと思います。
私が会社員時代、デスクの付箋やメモに瞬間的にイラッと来た場合、メモにわからないように「ふざけんな!!ボケ!」とか書いて、ボールペンでグリグリ消し込んだ後、シュレッダーをかけにいくなんてことをしたこともあるんですが、意外とそれだけでも気持ちがスッキリしたりします。(真面目な顔してメモしてる風だと意外とバレなかったような・・・笑)
お恨み帳なんて・・と思わずに、そんな風に小さなイライラでもいいので、書き出してみると意外とスッキリするんだなと実感していただけると思います。
おうちに帰った時に今日1日の嫌だったことをメモに書き殴ってビリビリに破いて安全に燃やすなどもいいかもしれません。
怒りのエネルギーは自分の外に出すと「大きい」「怖い」と感じるかもしれませんが、それほどのエネルギーを内に溜め込むより、しっかり出すのは大事なこと。心の代謝にとってもいいことなんです。
いきなり全部を書けない方はこんな風に「イラッとしたら書く」でもいいと思います。
まずは自分の怒りを認めていくことからやってみましょう。
心はちゃんとスペースを開いてあげれば柔らかくもなるし、いろんなことも吸収しやすくなります。
怒りを出すというのは苦手だし、そんな改めて書くことなんてない。
私も元々怒りを見るのは苦手な方なので、こういうことを書くと「その先のことだけやりたいから、その後何するの?どうしたらいいの?」って聞きたくなる気持ちはすごくわかるんですが、実はこの怒りを出すことをスルーしたまま次に進んでも効果はあまり感じないと思います。
心が凝り固まっている状態を想像して貰えばいいかと思うんですが、怒り肩なんていうように怒っている人の体って固まっていたり、力んでいるんですよね。
その体にいいものを注ぐのと、マッサージやデトックスした後の柔らかい体にいいものを注ぐのをイメージするとどちらの方がより吸収がいいのかは、一目瞭然ですよね。
柔らかい心も同じです。
出せばそこにスペースができ、スペースの広がるところには流れが生まれます。そうなるといろんなものがスムースに流れていき、吸収したり循環したりしますよね。
その時になって初めて「頭で考えるこうした方がいいってことをもう一度心とともに考えてみる」タイミングに入ります。
一人でやらなくてもみんなとやる方が実は強み強化につながる。
そうか!じゃぁ、頭で考えたことをその時心とみるわけね!じゃぁこうしてあぁして・・と、考えたくなるのですが、その時にチェックして欲しいのは「それナディさん一人でやろうとしてませんか?」というところです。
実はここがとっても大切。
ナディさんはたくさんの病院や薬局などの環境の違う場所での経験が豊富でしたよね!それってとっても素晴らしい経験ですし、ナディさんの強みですよね。
それを一人のものにせずに、さらにみんなで知恵を出し合える環境の中で使うと、その強みはさらに強化されていきます。
一人の経験をシェアして新しい環境または文化を持つところに投げてみると、それが波紋のようにその環境の人たちにも影響を及ぼします。
でもその波紋は一方向ではなく、打った側にもフィードバックが起こると思うんです。その時に「私はほかで見てきたから知ってる!」と思うのではなく、「前にいたところで、こういうケースがあったんだけど、あなたはどう思う?」とコミュニケーションを取りながら、ブラッシュアップしていくことが強みをさらに強化することへつながります。
ナディさんの「曖昧さに対する対応」というのは、「今どうしたらこの場を収められるのか?」だったかもしれませんが、できることならさらにその上のこと「今後同様のケースが起きた時に、どう対処できる自分になるか?」にしてもいいと思うんです。
旦那様の転勤が今後どうなるのか?もありますよね。
そんな時、その場のケースに合わせる「対処」ではなく、「変化の中でどう対応できる自分を作っていくのか?」を考える方が、今後どんなシーンでも対応できると思いませんか?
まずは自分の声を丁寧に聞いてみて、怒りをきちんと出すというところから、はじめてみてはいかがでしょうか?
責任感の強さは社会性の中では大切な要素の一つですが、それが自分を苦しめているようであれば、それを「おさえる」ではなく「さらにもっとブラッシュアップする」という形で進めてみてもいいのかもしれません。自分の個性として捉えた時に、どんな形なら自分にとっても周りにとってもいい形で表現できるのか?を一緒に考えられるカウンセラーなどに定期的にサポートを受けるのもおすすめです。