【ココロノマルシェ】起きていることは私が望んだもの?
ココロノマルシェに寄せられたご相談
こんにちは。起きていることは全て正しい、自分が望んだことだと、よく聞きます。
私は、就活では最終選考に残ったりすると途端にやる気が無くなってしまいます。自分でもよく分からないのですが、常にこれを繰り返しています。
あまりに繰り返すので、能力やご縁云々ではなく、私の心の問題だなと思います。形は変わりますが、恋愛も実際付き合うとなったら嫌になるし、評価されると一歩引いてしまいます。
そこで、何故なんだろう、と考えてみたところ、定職につく=人生の終わり、自分の可能性が絶たれるというイメージがあることに気づきました。
だから、仕事に就きたくない、怖くなってしまうんでしょうか?
どのようにしたら、このイメージを乗り越えられると思いますか。
定職に就く=人生の終わりの間にある感情は?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
ご相談をお送りいただき、ありがとうございます。
定職に就くというと、一般的には安泰だとか、生活の安定という意味が強いと思うのですが、かなさんの場合はそれが「人生の終わり」と感じていらっしゃるんですよね。
人生の終わりだと感じたということ自体がどうか?というのではなく、「定職に就く」ということと「人生の終わり」と出てきたことの間にいろんな気持ちが隠れているのでは無いでしょうか?
人生の終わりとなぜ定職に就くことが結びついたのか?それを紐解くことからいろんな道が見えてくると思うのですが、今回は一つの可能性としてのお話をさせていただければと思います。
起きていることの何がどのタイミンングで自分にとって必要かはわからない。
目の前の世界は自分で作っている。
起きていることは自分が望んでいること。
など、いろんな表現で「今起きていることをどう受け止めるか?」という言葉は存在しています。
これらをまず「採用するかしないか」についても自分で選べると思うのですが、かなさんは今回「これを採用する」と決めているのでしょうか?
私は「自分が幸せになる答えを優先していい」と普段から考えていて、そのために心理学を使うというスタンスをとっています。
しかしこの「自分が幸せになる答え」というのは、「今、楽な方」「今、しんどい方」「今の自分にフィットしているかどうか」という観点よりは「本当に自分が心から幸せだと感じるために必要な答え」という意味合いで使っています。
なので、前提として「自分は何に幸せを感じて、何を求める人なのか」ということをあらかじめ理解しておくことも重要視しています。
今の段階で自分の幸せにつながらなくても、本質的な幸せに近づくために今頑張る必要があると思えば、その答えを選択するということももちろんあるわけです。
さて、そんな私がかなさんのお話をカウンセリングお聞きするとしたら、「かなさんはどんな幸せを今、描いていますか?」とお聞きするところから始めてみたいなと思います。
幸せを知ることで手にしている幸せと手にしていく幸せが見えてくる。
幸せってすでに手にしているものもあると思うのですが、かなさんは今「手にしている幸せ」って考えてみたことはありますか?
自分の手にある幸せ。
これをどのくらい見つけているでしょうか?もし今まで見つけてみようと思ったことがないのであれば、一度ノートに書き出してみてもいいと思います。
- 今日1日の中で手にした幸せ
- 今月手にした幸せ
- いつも当たり前のように手にしていた幸せ
- 小さい頃から実は手にしていた幸せ
そしてその幸せはたくさんあるはずなので、出来る限りたくさん見つけてみてください。
1日かけて探してみてもいいですし、1週間毎日時間を決めて探してみてもいいかもしれません。そしてその幸せが見つかったとしたら、その幸せを見直してみて、体のどの部分がどんな感じがするでしょうか?
それも一緒にノートに書き出してみましょう。
自分が手にしたいものに対してあれこれ考えてしまう時、意外と人はすでに持っているものに目を向けていないことがあります。
なので、自分の手元にすでにある幸せについて考えてみてください。
すでに手にしている幸せとこれから手にしようと思う幸せとの感じ方の違いはありますか?
一見、かなさんのご相談から遠く離れているような感じがあったかもしれませんが、ここから順を追って説明していきますね。
かなさんが思う「定職につく=人生の終わり」ということと、恋愛で付き合うとなると嫌になり、評価されるとなると一歩引いてしまうことについては、ご自身でもなんとなく「こうかな?」と思っていらっしゃるかと思うのですが、自分に対するプラスの評価に対しての恐れが強いんだと思います。
なので、定職につくということは人生の安泰という意味合いがあるため、安泰という部分への恐れが「終わり」を感じさせることで、安泰や安全というものを手にしないようにしようとしているのかもしれません。
しかし先ほど、私が「今手にしている幸せについて考えてみる」ということをお話ししたのは、「今から手にする幸せへの恐れ」ではなく「すでに幸せである今」に目を向けて欲しいから。
今すでに幸せであるというのは、100%全てが幸せでなかったとしても、「今日コンビニの大好きなお菓子が1個買うと次の時1個もらえるキャンペーンをしていた」とか、「いつも自分の前でコピー機の紙切れを起こすのに今日は起こらなかった」など、そういう小さな幸せでもいいんです。
すでに幸せになっている私を感じることで、これからの幸せにコミットしていけるという方向もあるのでは?と思います。
よかったら参考にしてみてくださいね。
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自分を幸せにしない気持ちには「罪悪感」というものがあります。でも罪悪感をなんとかしようとすると罪悪感に逆に囚われ過ぎてしまうこともあると思うのです。すでに自分にある幸せに気づくことで、これからの幸せにも許可を出していくということを見つめていけるようになれば、気がつけばいろんなことが変化していた、なんてこともあると思います。