【ココロノマルシェ】人のことが苦手なのに、人が集まってきてくれるような人間になりたいと思ってしまう
ココロノマルシェに寄せられたご相談
こんにちは。27歳女です。相談させてください。
人のことが苦手なのに、人が集まってきてくれるような人間になりたいと思ってしまい そのギャップに苦しんでいます。
苦手な理由は 家族以外の人とずっと一緒に居ると、無意識に気を張っていてしんどくなり 疲れてしまうからです。そのせいか?楽しいともイマイチ思えません泣
そして、自分に人が集まってきてくれるほどのコミュ力や容姿、ユーモアなどは持ち合わせておりません…
友達も少なく いつも自分から誘うばかりなのが悲しくて、自分の居場所や仲間がほしいと思い、社会人サークルに参加しようかとも考えたのですが、幼い頃から 既に出来上がっている輪に溶け込むのが苦手で 上手く振る舞えない気がして勇気が出ません。自分をオープンにできず、いつも外で気を張っている感覚があります。
小学校では大人しく、家では暴れん坊の内弁慶でした。
中学〜大学時代は1人になるのが嫌で(「うわ〜あの子ひとりじゃん笑」みたいに言われるのが怖かったためです。)、とりあえず 固定の友達を作って一緒に居る、という感じでした。
毎日機械的・作業的に生きていて、今以上に人に興味がありませんでした。
これじゃ、心から繋がれる友達ができるわけないよな、と今なら分かります。
ちなみに、こんな感じなので、学生時代からの友達が多くて、友達と居ても全く疲れることなく朝から晩まで楽しめている彼氏にはめちゃくちゃに嫉妬してしまいます….。
こんな私は、人が苦手という性格だから 人の中に入っていくのは諦めた方がいいのか、それとも 自分をオープンにしたら人が集まってきてくれるのか… はたまた別の考え方があれば教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
ゆんちょさん
人が集まる人ってどんな人?そのイメージをもう一度、洗い出ししてみませんか?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
自分はこんななのに、それでも全く別の性質を願ってしまっているような気持ちを頂いたら、なんとなく自分の思いなんて叶わない、思うだけ無駄なのかも・・と不安になりますよね。でも私は人が描く理想ってどんなことも叶っていくんだと思っています。
長い時間がかかることもあれば、その人が思い描いた図とか寸分違わないということもないかもしれません。でも感情レベルでみれば「簡単に叶ったな」って思うことはたくさんあると思っています。そうして、「叶ったな」を重ねていくうちに、思い描いていた形に似たものやそのもののや、それ以上のものが自分の手に入っていく。
そういうものだと思っているんですね。
でもそのためには自分がどうしたいかの解像度をもっと上げていく方が、納得感は上がります。
それをカウンセリングで一緒にやっていくこともできるんです。
家族以外の人と一緒にいるとしんどくなるのは何に気を遣っているんでしょう?
「気をつかう」
多くの女性がこの「気を使いすぎて疲れてしまう」と感じることが多いですよね。
- 周りに合わせる
- みんなが気持ちいい状態でいる方法をずっと探している
- 今、つまらなさそうな顔をしている人がいないか探してしまう
- 言いたいことを言うと場がしらけるかもと不安で言いたいことを我慢することにストレスを感じる
- 行きたい場所、次の行動、一つ決めるにも誰の意見に決定権があるのかを常に流れを読んで疲れてしまう
など、たくさんあると思うんです。
特に女性同士の話って常にこの人がリーダーって感じではなく、内容やその時によってその場を仕切る人、動かす人が変わるってことを女性たちは感覚的に知っているので、その流れを読むこと自体に疲れてしまうってこともありますよね。
その点、家族であれば昔からある程度固定された流れがあって、自分のポジションも固定されている部分が大きいので、そこでここまでなら自由に動いていいはずっていうことがわかっていると、その分気が楽ってこともあると思います。
時代の変化により、さらに周囲に目を向けやすい部分はあると思います。
若い頃の私の話をしてもきっと、今との乖離は大きくて、私自身も「え?そんなところまで気を遣うの?大変なんだなぁ・・・今の若い人は・・」なんて思うこともあります。
その辺りはちょっと苦手なので、ぜひともカウンセリングでは色々お聞きしてみたいなって思うんです。一概に「あの子一人じゃん」って思われるとどんなことが起こると思っているのか、集団でいることの安全はなんなのか、情報社会と言われる中でどんな情報がどんな風に遮断されていくのか?など、あればお聞きしてみたいなと思っています。
固定の友達との関係性についてもいつも同じようなタイプの子といたのか、それとも毎回いろんなタイプの子が固定の友達になっていたのか、固定の友達との最初の友達になるきっかけはどんな感じなのか、など聞いてみながら、「ともだち」についてもどんな風にゆんちょさんが捉えているのかお聞きしてみたいところです。
友達って結構線引きが難しいなんて言いますよね。
知り合いと友達の境目は人によって違うし、友達と親友についてもその人その人独自の感性が現れる部分だと思います。ぜひその辺り、言語化できてくると「自分が欲しいともだちってどんな人か?」も見えてくるので、紙に書き出してみてもいいと思います。
自分の才能を使う前に、才能を何に使いたいかを明確にしてみる。
彼は友達が多くて、朝から晩まで友達と一緒にいて羨ましい。
これって自分のそばにいない彼に対しての寂しいとかよりも、彼は友達がいていいなって気持ちの方が大きいのでしょうか?その辺りもぜひ聞いてみたいなって思います。両方あるけどどっちが強いとか、両方ごちゃ混ぜになってるとか、いろんなことがあると思うので、ぜひその辺りも「話す」ということで整理していくのもいいと思います。
ゆんちょさんは今回「友達が欲しい」「できない」と思っているとご相談をくださいましたが、それってすでに「友達を作る才能を持っている」とも言えますよね。
才能には大きく分けて2つのパターンがあって、それには「何も意識しないでやれちゃう才能」と「悩みぬいた末に手にする才能」があるのですが、ゆんちょさんの場合、後者なのかもしれません。
悩み抜いたからいい、何も意識しないからいい、というのは「才能」については関係ないと思っています。ただ、そこに関心があり求めて得るのか、生まれた時の環境や元々持って生まれた性質からなるものなのか、その違いなので「才能」であることには違いないんですよね。
その才能を開くためには「どんな友達が欲しくて、友達ができたらどんなことをしたいのか?」を描いていくことがビジョンにつながっていくと思います。
大勢の友達が欲しい!そう思っているけれど、大勢いると意見もまとまらないし中で喧嘩し始めるし、入れ替わり激しいし、それでも大勢とわいわいしている瞬間は楽しいし、一体感を感じる!
そういう両方の面がある中で、どちらに惹かれているのか、その中にいる自分はどうなのか、惹かれているけれど実際向いているのは大勢の友達なのか少数精鋭の友達なのか、大勢といるけど一人の時間も絶対欲しいのか、一人の時間なんていらないからみんなでわいわいしていたいのか。
そういったことも踏まえて、思いつくままに紙に書いてみてもいいかもしれません。
ゆんちょさんの才能をどこにどんな風に生かしたいのか?は、そこから見えてくると思います。
ぜひランチ会やお茶会などでその辺りをお話ししながら、描いていくと「他の人と一緒にやる」ということをすでにそこでやれるわけなので、頭の中でシュミレーションして終わるより、よりリアルな質感を持ったイメージができると思います。
1月は私のランチ会が東京と大阪で対面の形で行います。通常東京の対面ランチ会は不定期となりますので、お近くの場合はぜひいらしてみてくださいね!詳しい日程等は公式LINEにご登録いただきますとお申し込みフォームや私からご案内をさせていただくことも可能です。
できないかもしれない。そう思うより、「何が欲しいのか」を大切にする方がやる気って生まれますよね!私はそのイメージこそ、自分を豊かな方に導いてくれる原動力だと思っています。
あなたにとっての「友達とわいわいしている人ってどんな人?」ってことも、その人を探してその人のどんなところが人を集めているのか、どんな振る舞いが人を巻き込む力なのか?など、チェックしてみてくださいね!
好きこそものの上手なれ。好きだからこそ、研究するのも楽しい!そう思ってやれますように!
物事が叶うためのプロセスにはたくさんの方法があると思います。でも自分がしたい方法を選ぶということがおすすめではあるものの、「したい方法」が逃避になることもあります。自分の「やりたい!」の純度を上げること。そのプロセスを飛ばして「やりたい方法をやる」というのは、どうしてもスピード感も継続も弱くなります。
やりたいの純度を高めてからやりたい方法を選んでみてくださいね!