【ココロノマルシェ】向上心と自己受容
ココロノマルシェに寄せられたご相談
こんにちは。考えてると行き詰まって吐きそうなので何かヒントを頂けたら嬉しいです。
40代武闘派長女です。正社員で働いていて長いこと管理職をやっています。
今日の相談は、仕事について、特に出世するとか給料を上げるとか、そういったところについてです。
社会に出てから数回転職していて、どこの職場でも早期に役職について人間関係の構築も得意で、社長など経営陣からかわいがってもらうことも多く、自称ではなく客観的なことを並べても仕事ができるほうだと思います。
ただ、いつまで経ってもそれ以上の役職に出世することは無く、自分が目指しているところにはなかなか到達できていない思いがあります。
「いいところまでは行ってるけど惜しい人だね」みたいに自分のことを思っています。
また、自分がいる会社や組織では良い評価を受けているほうだと思いますが、自分が納得いくレベルではないし、この人たちの中で優れていると言われても、というように満足ができません。
自分以外の人の仕事ぶりを全て把握できているわけではないくせに「あの人のほうが評価が高いってどういうこと!?」とイライラしたり虚しくなったりします。
で、30代の頃は「いつかすごいものになれるのではないか、なれるはず」と思って、起業することも含めてずっと何者かになろうとしていました。
しかしそろそろ自分の実力を直視しないといけない時期がきたというか
「自分はたいして何もできないし、頭が悪い」ということを受け入れないといけないと思っています。
頭が悪いというのは出世できないからではなく、さらに上のポジションに行くにはものの考え方が足りないということを自覚しているからです。
私は自己受容が足りないということを指摘されたことがあるのですが、この場合「自分は今のままでいいんだ」と思ったほうがいいということなのでしょうか?
一方で、自分は無理やり生活のために仕事をしているというよりも働くことが合っていて、楽しくやれているところがあるので
評価ばかりを気にして自分を追い込んで仕事をしているという感じでもありません。
専業主婦をしたりパートをしたりした時期もあったのですが、まったくしっくりきませんでした。
収入を上げてあんなこともしたい、こんなこともしたい、という気持ちもあるので、今のままの給料でいいや、というのも自然な気持ちではありません。
収入のことだけで言うと、副業をして合算で収入を高くするという方法もあると思いますが、どうしてもその方向では身体が動かず、
どうやら私は今いる会社で軽んじられたくないとか、価値をわかってほしいみたいなところにこだわっているような気がします。
決して認められていないわけではないのですが、足りない足りない!みたいになっています。
起業したり役員になったりしている同世代もいるのに、自分はずっと管理職。
それを打開する能力もなければ行動力もない。
でも本当にまったく叶えられないとは思っていない。けど、頑張るのに疲れてきた。
そんな感じです。
最年少でオリンピックに出場して、その後も毎回出場しているけどメダルは1回も獲れていない、みたいな感じです。
「オリンピックに出られるだけすごいよ」と言われても響かないです。
子供のころから学生時代、表彰されたり賞を獲ったり難関校に合格したり華々しいことがたくさんあったので、それに比べると失速感が否めないです。
特に親に何か言われることはないのですが、学生や社会に出る頃には父親の期待に応えられるかを気にしていました。
期待以上の結果を出して喜んでもらった経験もあるし、逆にガッカリされた経験もあります。
今もこれが影響しているのでしょうか?
でも「親のことは気にしなくていいんだよ」と言われたところで、やっぱり私自身が納得いかないし諦めたくないです。
人と比べないで、私らしく、と言っても、そこそこの仕事でそこそこの給料をもらうことが私らしくとも思えません。
どんどん「誰のせいでもない」ということに気づいてきて、自分に矢印を向けるしかなくとても苦しいです。情けないしイライラするしガッカリします。でも何か頑張りたいです。
まーさん
自分の中のルールを緩めてみる。
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
ご相談をお送りいただき、ありがとうございます。
ご相談文をお読みしながら、おそらくたくさん心のことについても調べたり、学んだりされたのかな?と思いました。真面目で仕事ができて、信頼もされる人柄なんでしょうね。そして何より、向上心がある方なんだろうと思います。
ただ、それが自分を苦しめているという自覚がおありのようですね。今回は「自分の中のルールを緩める」というテーマについて一緒に考えていきたいと思います。
こだわりと執着の違いって?
情熱的な人の多くにあるこの「執着」に悩まされるという気持ち。
これって、手放した方がいいよ!って言われるものの1つでもあると思うのですが、こちらをポジティブに解釈した場合「こだわり」ともいえますよね。
ではどうなったら執着で、どうなったらこだわりなのか。
私はこの違いについて、自分がそこに依存的に縛られるのか、自発的に選んでいるのかで分けられるのではないか?と考えています。
執着って改めてなんだろう?
執着って言葉に、まーさんはどんなイメージがあるんでしょうか?
先ほど私は「手放すもの」と書きましたが、それ以外にもたくさんありますよね。一度、頭の整理として書き出してみてもいいと思います。
執着心っていうと対象に強くコントロールを働かせて思い通りの結果を得ようとする心の動きのように感じています。
ちなみに辞書では「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。」と簡潔にまとめられていたのでこちらの方がわかりやすいかな。
つまり心を取られると書かれていますが、そこにものすごくしがみついているようなイメージを持つ方も多いと思うんです。
代表的なものといえば、恋愛やお金への執着っていうのは多いと思いますが、他にも物への執着があるとコレクターになったり、場所への執着があると引っ越せなかったり、いろんなものに執着するってことはあると思います。
執着している時って、心がすごく苦しいですよね。
辞書の言葉を借りれば、「離れられない」と書いてありますが、心をとらわれているのであれば、離れられないってむしろ楽しいかもしれないし、嬉しいかもしれないのに、多くの方は「しんどい」「もう辞めたい」「辛い」「でも辞められない」と感じて、苦しんでいることが多いように思います。
それは「執着しているものを手放したら、何も残らないように感じてしまう」だったり、「執着しているものがなくなったら、自分の感じたくないものを感じさせられてしまう」という気持ちがあるからではないでしょうか?
だから今、しがみついている手を離すことが怖いと感じたり、失うのが怖いと思うと辛いと感じていることよりも恐れの方が強いので、手放せないと感じるんだと思います。
執着を手放した先に、何があると思いますか?
まーさんはもしかすると「私は執着しているわけじゃないのに、長々と何を話しているんだろう?」と感じているかもしれませんね。
執着をどの強度で捉えるか?によっては、今のまーさんの状態を「執着している」とは感じにくい方もいらっしゃるかもしれません。
まーさんの望むものを改めて書き出してみると、実はここが見えてきやすいと思います。
- 昇格したい。
- 会社に認められたい。
- 起業・専業主婦・パートは向いてない。
- 自分が納得いくレベルではないので褒められても満足できない。
- いつかすごいものになれると思っている。(思っていた)
- 「自分はたいして何もできないし、頭が悪い」ということを受け入れないといけない。
- どうやら私は今いる会社で軽んじられたくないとか、価値をわかってほしいみたいなところにこだわっているような気がする。
- 決して認められていないわけではないのですが、足りない足りない!みたいになっている。
- 「親のことは気にしなくていいんだよ」と言われたところで、やっぱり私自身が納得いかないし諦めたくない。
- 人と比べないで、私らしく、と言っても、そこそこの仕事でそこそこの給料をもらうことが私らしくとも思えない。
まーさんの素晴らしいところは、だんだんと心の深い部分にまで気づこうと自分を振り返っているところだと思うんです。
こうして書き出してみるとわかりやすいのですが、表面的な部分からどんどんと本質的な部分に移行していますよね。
それって素晴らしいことだと思うんです。まーさんからすると「そんなすごいことじゃない」と思うかもしれませんが、私は素晴らしいことだと思います。
そして本質的な部分に近づくからこそ「抵抗感」というものも強く出ているのではないでしょうか?
まーさんは「自分はこんなもんじゃない、もっとすごいんだ!」ってことを、「会社で認められる」「社会に認められる」ということで、「ほら、私ってすごい」って思いたいのかもしれません。
ただ、これだといつまでも追いかけっこになってしんどいんです。
会社や社会は不特定多数の人をさしています。その人たちに「自分はすごい」って認めさせようとする努力って相当大変だとも思うし、一人でも「いや、すごくないでしょ」って言い出したら、その意見を打ち消すためにまた頑張り続ける必要が出てきますよね。
いつまでも終わらない努力の先に「他者評価」を置いていると燃え尽きてしまうんです。
すごくない自分、惨めな自分を受け入れることに納得いかないのなら。
ここで本来なら、自分の中の惨めな私やすごくない私を受け入れていくことをお勧めするのですが、それは難しいと思っているということであれば、まずは「与えていく」ということにトライしてみてもいいかもしれません。
与えるというのは「すごい私」ではありません。
まーさんの中の「ちょっとズボラな私」「ちょっと可愛げのある私」「ちょっと情に流されちゃう私」「ちょっと非力な私」、こういうちょっと今まで人に出して来なかった、
「少しだけ人前に出すのには勇気がいる私」を、周りの方に与えてみてほしいんです。
これってリーダーシップになるんです。
管理職をされているということなので、チームビルド、マネジメントということについても日頃勉強なさっていると思います。
その中で「強いリーダー像」というのは、今現在求められている形からずれてきているんですね。それよりも「対等にサポートしてくれる仲間」としてのリーダー像を時代的にも求められている部分がありますよね。
実際の会社の社風によっては「まだまだうちはついてこい!っていうタイプのリーダーシップが幅を利かせている」と思うかもしれないのですが、パワハラやモラハラの昨今の流れから見ても、新しいリーダーシップ像が浸透するのは時間の問題ではないでしょうか?
となれば、それを先駆けてまーさんが取り入れてみるのはどうでしょう?
頑張り屋さんで、自他ともに「仕事ができる」という評価があるまーさんが、「実はこんなにズボラなところがあったんだ!」、「本当はちょっと可愛らしいところもある人なんだ!」と周囲が理解することで、よりまーさんに対しての「弱さを出せる強さ」への見方って変化していくと思うんです。
そしてこれは社会的にみても流れに沿っていますが、心の部分においても「頑張ることを緩める」ということができます。自己開示ともいえますし、自分を他者に愛させるということでもあります。
足りない!!だから頑張る!!
ではなく、
自分を開示することで、愛を感じる。
そちらにルールを変更して緩めていきませんか?
こちらのHPのお問い合わせフォームまたは下記の公式LINEでも感想をお待ちしております。
会社や社会という単位は実はすごく抽象度の高いもの。だからこそ、答えは無限にあって、その中で高得点を取ろうとする努力は天井が見えない、終わりが見えない努力のように感じてしまうものです。もっと身近なところに視点を戻すこと。そして、もっと頑張るという足りない発想から、すでにあるものを開示していくことで、在る視点に移していきましょう!