【ココロノマルシェ】人生のもやが、(40年も)晴れない感じです
ココロノマルシェに寄せられたご相談
人生にもやがかかっている感じです。
罪悪感を手放すことで、もやが晴れるのでしょうか?
現在54歳、22年勤めた教員を早期退職しました。
きっかけは中2の頃の話です。(今から40年前)
私には万能感さえありました。勉強にスポーツ(野球)、日常会話など、みんなの中心になり、楽しくできる充実感や自信も持っていました。
そんな時、学級委員や生徒会長、野球部のキャプテンをやる中で、あまりにも教師の言うことに従順だったため、同じクラスの子達から「優等生」と言われて、嫌われた(と思っている)のがきっかけです。
休み時間には遊ぶ友達もおらず、他の組の生徒と遊んでもらっていました。
修学旅行では、自由時間が一番つらかった。誰とも一緒に見学できず、宿では話もせず押入で寝た記憶さえあります。
また、野球部でも同級生との間に溝を感じてしまい、うまくまとめられずチームも実力はあるのに弱いままでした。そこにも責任を感じました。
そこから、私は友達に罪悪感を感じているように思います。
また、上辺だけみて、「雑談できない自分」を責めるようになりました。嫌われないためにはうまく話をしなければ、と思い込んだようです。
そこからずっと悩んでいたのですが、親や友達には言えなかった(言いたくなかった)のです。悩みをず〜っとひきずっている感じで人生を過ごしてきました。本当に苦しかったのです。
万能感を持っていつつ、大人しい、人見知りな性格が一気にコンプレックスに変化したように思います。
・同級生に嫌な思いをさせてしまった。
・ダメなキャプテン、ダメな生徒会長
・もう人前に出てはいけない
・「友達とうまくできないのは、話せないからだ」という思い込み
・母親に、「〇〇(私)は、話さないものね。他の子は学校であったこととかよく話してくれるのに」と言われたことが、重荷になっている
・自分の気持ちを口にしない、周りに想像してもらっているという性格の負目
などが、自分を罰する際の項目です。
それ以来、高専時代、社会人時代、教員時代含めて、その時々の浮き沈みや、楽しみ、結婚、持ち家、子供の卒業などなど、一通りの人生経験をしてきましたが、どうしても中2からの”もや”が晴れず、すっきりしない感じなのです。
ことあるごとにその出来事を思い出し、苦しくなります。
”もや”とは次のようなことです。
・人前に出るのがとても負担に思うようになりました
・教員なのに子供の前に出ると少し緊張感が出るんです(22年なんとかできましたが)
・心の底から、友達だといえる人物がいないんです(よくしてくれた友達は2、3人いて、今も親しくしていますが、全ての自分を見せていない感じです)
・心に笑い(ユーモア、余裕)がなく、自分の息子と気軽に話せない感じです
・実家に帰ると、何があったわけでもないのに、嫌な気持ちを思い出して、落ち込みます
・周りに複数人がいると、自分がどう感じるのか、どうしたいのかわからなる時があります。家族では出ませんが、職場、ご近所さんの集まりなどでは顕著に出ます。
・場面緘黙の子って、きっとこう言う気持ちなのかと思います。その場面になると心が苦しくなるけど、言葉にできません。
・やっと言葉にしてみると、その時の気持ちが表現できません。表現しようとすると世界が違う感じになってしまいます(苦しい世界から抜け出せる気もします)
・いつも反省している感じです
・人と会うと何を話したらいいのかわからなくなります。
・自分のキャラクターがわからなくなる感じがして、パーティーなどには到底出られません。出るだけで疲れます。立ち位置がわからなくなるからです。
根元さんの本を読んで、きっと自分は中2のことで、罪悪感を感じているんだと思いました。それを手放したい。自己肯定感を上げて、もやを晴らしたいと思っています。
ただ、どうやるのかがわからない。自分を受け入れることがどうやったらできるのか。
長文になりましたが、書いているだけで少し頭の中が整理された気持ちになりました。ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
はたさん
自分の気持ちに今初めて向き合おうとしているのでは?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
54歳で現在早期退職され、以前の忙しさから随分と時間に余裕ができたりすると、自分と向き合う時間が増えてくると思いますが、はたさんは今ちょうどそんな時期なのではないでしょうか?
教員のお仕事はなかなかお忙しいと聞きます。ましてや大勢の人と毎日向き合うお仕事だったので、自分に目をむけることよりも生徒に目を向けることや、保護者の方、同僚の教員との連携などに忙しかったのもあるかもしれませんね。
そうして今やっと自分と向き合う時間ができてきたとすると、「どう向き合えばいいのかわからない」という気持ちが出てきても仕方ないのではないでしょうか?
罪悪感という言葉の前に、自分の感情に向き合うことから始めませんか?
根本裕幸さんのブログからご自身の罪悪感に目を向けられたとのことでしたが、私ははたさんのご相談内容を読んでみると「罪悪感という気持ちの前に感じたくない気持ちから目を背けてしまっているのではないか?」と思っています。
ご自身が書いていらっしゃる中学2年生の頃のエピソードがありましたよね。
そちらには「部活では先生の話を聞きすぎて優等生と見られたためにうまく馴染めなかったこと」「修学旅行などでも友達と一緒に回れなかったこと」「寝る時も押入れて眠っていたこと」を書いてくださいました。
書きながら、思い出しながら、またその時の気持ちを思い出していたと思うのですが、そのことには触れず、部活にのみ責任を感じていらっしゃいますよね。
私は、もしはたさんの生徒さんが同じように友人と距離を感じていたら、どんな気持ちを抱えていると思うのか、考えてみるとわかると思うのですが、そのことについて触れていらっしゃらないと思うんです。
カウンセリングでは感情を切るという表現を使ったりするのですが、あまりにご本人にとって辛いと感じる感情の場合、自分を守るためにその感情を感じていないかのように平然とすることがあるんです。
でもそれだと、自分の心と繋がっているとは言えないんですね。
なので、まず自分の感情を自分で感じてあげるところから心とのつながりを持ち直していきます。
感情とつながるという表現をしますが、はたさんの場合教員として長らく人前で、見本となるような応対をずっとなさっていた分、より自分自身の感情に対して二の次にしていたことも多かったのではないでしょうか?
まずは自分のモヤについて、今回ご相談いただいたようにノートや紙に書き出すということもいいと思います。
そのとき、書き出している内容を思い出して感情が溢れることがあれば、それを感じてみてください。悲しければ涙を流してもいいし、怒りが出ればその気持ちをノートに書き殴り破りすて、火をつけて燃やす(灰皿などの安全な状態で燃やしてください)などをして、怒りについても感じてみてください。
もう今はただのはたさんになっていいという許可を自分に出してあげてください。
誰かの見本になることも、優等生であることも、いい父親であることも、全てはノートの前では持たなくていいのだということを覚えておいてください。
その上であの頃感じたこと、書きながら紐づいて出てきた思いのこと、それをノートに書き出してみてください。
自分の感情を受け入れていくことが自分を受け入れるということ。
優等生だった人たちは、誰かの求める姿をすることで自分が愛されたという成功体験を持っていると思います。
- いい子でいたから先生から可愛がられた。
- お手伝いをする子だったから親に褒められた。
- あまりわがままを言わなかったから親戚からも褒められて親が喜んだ。
など、成功体験があるので、その方法以外の方法よりも成功するとわかっている方法をとってしまうんですが、それは「他人軸」と呼ばれる自己評価ややりたいことを「他者を基準にする」ことで決めている状態になります。
全てがそうではなく、自分もやりたいことと求められていることが一致していたこともあったと思いますが、「自分がやりたいから選んだ」という意識は少なかったのかもしれません。
自分がやりたいことを選んだという場合、結果と経緯(プロセス)の両方が思うようにとならなくても経緯(プロセス)にはほぼ毎回満足できます。
しかし他人軸の状態だと、結果が全てというくらい比重として結果を重要視します。
なので、結果的に相手の望みに叶わない場合、経緯も結果も全てがうまくいかなかったという心象を持ちやすくなります。
すると「失敗した」「自分はダメなやつだ」という自己評価をしやすくなってしまいます。
一方で自分軸という自分の感情でやりたいと思えることをやっていると経緯には満足しているので、「まぁやりたいことはやれた」とか「挑戦できたからよしとしよう!」という満足のおかげで、自己評価についてはそこまで低くなることはありません。
他者へのフォーカスを自分に当ててみる。
はたさんのモヤについての説明の部分についても「相手にどう思われるか?」を考えていらっしゃるので、「どう接していいかわからない」「立ち位置がわからない」「子どもたちの前に立つと緊張する」なども、「相手からどう思われるかの予想が立たない時」に出やすいのではないでしょうか?
ここで、思い切って「他者へのフォーカスではなく自分の今の気持ち」にフォーカスを当ててみるということにトライしてみてください。
- 今日、散歩するなどどちらの道に行きたいか?
- 今、飲みたいものは何か?
- 「美味しそう!」「綺麗だな」「楽しそうだな」と思うものは、チャレンジしてみる。
- 自分の気持ちを「観察する」という気持ちで、こう思うべきだ!と判断せず、「へ〜!こういうときはこんな風に思うのか」と自分を見つめていく。
など、日常の中から「こうしたい」というものがあればやってみてください。
その日の服、靴、髪型、駅までの道や、天気を見て思うことがあれば、それをやってみる。
もちろん最初は普段と違うはたさんに周りの人は反応するかもしれません。でもそれでも自分の気持ちややりたいことをやってみるということを続けてみてください。
ここには「決める」という意思の力が必要になります。しかしもやを解決したいというはたさんの気持ちに立ち返りながら何度もその都度「決める」ということを選択してみてください。
全てのパターンは大小関係なくパターンとして現れる。
はたさんも長らく一つの仕事をやり遂げた方なので、もしかすると「こんな馬鹿馬鹿しいことやってられない!」と思うかもしれません。
しかし実は心のパターンというのは物事や行動の大小は関係ありません。
なので、いきなり大きく行動を変えないといけない!ということはないんです。
それよりも小さな積み重ねで、パターンを崩し自分の望むパターンに変えていくこと、それを感情ベースでやっていくことの方が、ずっと簡単でずっと取り組みやすいと思います。
「快」と「不快」であれば、「快」を選ぶ。
ただそれを小さなことから重ねていくことで、普段無意識にやってしまうパターンを書き換えるということができます。
まずは自分のやってみたい、面白そう、気になるということの中でチャレンジしやすいものからトライしてみてください。
よろしければ参考にしてみてくださいね!
最初はどうしたいかわからないと思うことも出てくるかもしれませんが、やりたいと思えばやるというリラックスした状態で続けてくださいね。