【ココロノマルシェ】定期的に現れる男性のパターンから逃れたい
ココロノマルシェに寄せられたご相談
定期的に現れる男性のパターンから逃れたいです。
私は何故か定期的に自由を奪おうとするタイプの男性と縁があります。
過去に2人恋人がいたのですが、2人ともDVモラハラ気質の束縛男でした。
そして今回は転職した先の上司がそのタイプです。
マイクロマネジメントというらしいのですが、明らかに必要ないであろう細かな事まで管理したがります。
何かする度にエクセルに記入して記録を取りなさいと言われますし、(そんなことが必要な仕事ではない)社内の人から来た簡単な仕事でさえもまずは自分を通さないと受けてはいけないと言われています。
自分の知らないところで私が動くことが不安で仕方ないようです。
こだわりも強く、自分のやり方と違うやり方をしているのを見つけるやいなや口出しをしてきます。
本人はアドバイスをしているつもりのようであなたのために言っていると言われますが、私からすると何から何まで押し付けられている感じがしてしんどいです。
正直かなり息苦しく、何をするにも監視されているみたいでどこで注意されるかとビクビクしてしまいスムーズに仕事ができません。
気分で態度が変わることもあるため過去に付き合った恋人と似たような恐怖感があります。
共通点として皆仕事ができて外ヅラはとても良いタイプでした。
私自身ははかなり自由人な性格で、フリーランスとして仕事をしたり旅をするように転々と土地や家を変えて生活をしていたこともありました。
ですがいくら土地や家を変えても定期的に私を押さえつけてくるような男性が現れる。
頼むから好きにさせて欲しい。
強烈にそう感じます。
ただ、自分で自覚していることがあってそういう男性に強く嫌だと言えない傾向にあります。
怖くて、萎縮して、自分が悪いんだと思ってしまうところがあります。
だからそういう男性に好かれてしまったり縁ができてしまったりするのかなと思っています。
父親は私が子供の頃に離婚しており、浮気症のダメ男でした。
結婚歴も3回。
問題に向き合うのが苦手でいつもヘラヘラして問題から逃げる傾向にあります。
母親は今では落ち着きましたが、昔は過干渉の完璧主義。
子供の頃はよくちゃんとしなさいと怒られていました。
私が嫌な思いをして泣いていてもそれはあなたが悪いからと話を聞いて貰えなかった記憶があります。
弟は真面目な優等生。私を反面教師にしていると言っていました。
私は弟にもよくちゃんとしろと怒られます。
なぜ私の自由を押さえつけてくるような男性がパターンとして現れてきているのでしょうか。
どうすればこういったパターンから逃れられるのでしょうか?
押さえつけてくる人がいなくなると、どうなると思いますか?
姐さんカウンセラーの根本 ゆかです。女帝マインドから見た回答をお話ししております。
なぜか毎回「またこういうタイプの人か・・・」と言いたくなるような人が自分の周りに寄ってくると感じる時、「どうしたらこのパターンから抜け出せるか?」について頭に浮かびますよね。
その時、「どうしてこのパターンが生まれるのか?」と言う視点もあるのですが、「どうしてこういう人が自分のところに来る必要があったのか?これが全てベストな答えなのだとしたら、どうしてこのパターンを手放せていないのか?」と言う、逆の視点もあります。
今回はこちらの視点でのお話となります。
今のtakeさんの自由にできている度合いってどれくらいありますか?
takeさん自身が「自分は自由な人」と認識されていて、実際に行動的にいろんな場所でも活躍されていたとのこと。その時は自由を謳歌できている!!と感じられていたのでしょうか?
そして現在普段はこの上司や過去の男性たちについて以外は自由にできていると感じられているのでしょうか?
それとも、実は他の部分でも「ここをもっと自由にできたらいいのに」ってことはありますか?
現在のお仕事に対しての自由度についてなども、どんな風に考えていらっしゃるのでしょうか?
自由を感じる時、それはどんな時に感じるんでしょう?
カウンセリングであれば、そんなことを色々お聞きしてみたいなと思います。例えば自由って「自分の意思決定を優先できた時」だったり、「開放感を感じる時」にも感じますよね。どちらの方がtakeさんの自由に近い感覚なんでしょう?
そう言うところに気をつけて感じてみると「私はこう言う時に自由をより強く感じるんだな」ってことが、自覚できるので「こうするともっと自由を感じられるんだな」と言うこともそうですが、逆に「こうされると自由じゃないと感じるんだな」と言うことも、自分で認識しやすくなるんです。
「頼むから好きにさせて欲しい」その言葉は誰に向けたものでしょう?
さてそんな自分が何を自由と感じるのかをみた後に、「頼むから好きにさせて欲しい」と感じることについて、お話を進めたいと思います。
今回の上司に向けてだったり、過去の男性たちに向けてだったり、「私の自由を押さえてくる人」に向けての言葉だともちろん思うのですが、最初にこの言葉を強く言いたかった出来事があったのではないでしょうか?
父親は浮気性でダメ男、問題からもヘラヘラと逃げているタイプ。母親からは過干渉で完璧主義の元、takeさんは育てられたと言うことは、
- 父のようにフラフラしているのは悪いことだ
- 私はちゃんとしなくてはいけない。なぜならちゃんとしないことで、嫌なことがあってもそれは私のせいだから。
そんな風に感じていたのではないでしょうか?
母親に完璧主義の過干渉で育てられていたtakeさんが本質的に「自由な人」だと自分を自分を認める過程については、どんなことがあったんでしょうか?
自分は自由に生きたいタイプだなと感じていたとしても、行動に移すと言う過程についても、いろんなことに取り組んだり、それまでに母親の過干渉から逃れるための戦いがそこにあったのではないか?と思うのですが、ぜひその辺りも聞いてみたいなと思います。きっとね、いろんなことに取り組まれたり、がっつり母親と向き合って「自分はこういう人間なんだ!」ってことを自覚する出来事があったと思うんです。
常に反発していた自分に気がついたとか、友人関係や上記の押さえつける男性以外にももしかしたらもっと自由に生きてもいいんじゃない?と言うことを伝えてくれた人がいたとか、何かの本やネットなどで見つけた言葉に心震える気持ちになったとか、きっとあったと思うんです。
なので、その辺りってあまり書いていらっしゃらないところではあるのですが、私はすごく大変だったし、すごく頑張ってこられたところだったんじゃないかな?と思っています。そしてそれをもっともっと自分に「私、頑張った!!よくやった!!」って褒めてあげていいところではないかなと思っているんです。
なので、ぜひその辺りもお話を聞いてみたいところだなぁなんて思っております。
自分を押さえつける人が出てくる理由は、そこに「自分を戒める人が必要だったから」だとしたら?
さてここまでは本来色々聞いてみたいなという部分でもあり、takeさんがあまりご自身の中で「重要視」していなかったところではないでしょうか?
よかったら、「自分の思う自由とは?」「過去の自分を褒める」と言うことをたくさんやってみて欲しいなと思います。
そんなtakeさんは「自分は元々自由でいたい人だ」と言うことを認識しておりながら、いつも自分の近くで「自分を押さえつける人」が出てくるというパターンをお持ちとのことですが、これって母親であり、takeさん自身の「自由な人になることの恐れ」でもあると思います。
父親の浮気性や問題から逃げると言うのも、完璧主義な母親からすれば「あなただけ自由でいいわよね」って言われるような象徴的な部分でもあると思うんです。
結婚という制約の中で浮気という「自由」があり、問題と向き合うべきというルールの中でそこから逃げるという「自由」がある。
そんな風に捉えていると、「自分は自由な人間だ」ということに、果たしてどれほど「これでいいんだ」と思えるんでしょうか?
つまりこれは「自由」についての定義を最初にお聞きしたところにも繋がっていくのですが、「自由」という言葉をtakeさんがどんな風に捉えているか?によって、「自分という人をどんな風に捉えているか」にも繋がっていくんですね。
フリーランス・住むところを選べるという部分の「自由」と、父親に見た「自由」、母親から受け継いだ価値観としての「自由」。
それらが繋がっていくのではないでしょうか?
あなたは「自由」をどんな風に捉えたいですか?
今回のご相談は「どうしたら自分を押さえつけてくる男性が出なくなるのか?」ですが、ここについては「自分の自由をいかに許していくか」に繋がっていくと思います。
自由だからしゃーない。っていう自己肯定感の中にどれだけ「自由である自分をそのまま受け入れるか」と捉えてもいいです。
この自由の捉え方を変えることで、今後の自分の自由度についても、変化していくと思います。
なぜならそれは「自由」というものに縛られているからこそ、「自由」を求めるし、「自由であるかどうか?」に執着しているのから。
この状態であれば、「自分は自由かどうか」も常に気になるだろうし、自由を欲する自分と自由であることで自分を罰する自分も無意識にあるんですよね。
自由だから嬉しいと思いたいのに、自由ではいけないんだ、嫌な目にあうんだと思ってしまっていると、近くに「自由を押さえてくる人」が必要になってきます。
なので自由についての捉え方を考え直してみると同時に「自由」についての手放しを意識していくカウンセリングを私の場合お勧めすると思います。
母親・父親と向き合ってみる。
この価値観を手放すにあたり、過干渉だった母親との関係性についても改めて取り組んでみてもいいのかなと思います。
ここは前にも書いたように、「私は本来自由な人間だ」とどんな風に思うに至ったか?をお聞きしながら、再度母親と向き合うことについてカウンセリングでやっていく形がいいのではないでしょうか?
そして、現在自由の象徴的な存在になりつつある父親についても、改めて向き合うということで自由についての価値観を見直していく。
私のカウンセリングでは、そんな風にお話ができればと思います。
自由になりたい!と言いたくなるほど、自由ではない現状がそこに隠れているわけですが、それも全て「自分がそう感じている」ということ。それをカウンセリングで話しながら「何に自由を感じ、何に不自由を感じるのか?」を伝えていただくことで、そこから「本当にそう?自由ってそもそもイメージと感じていることがずれていない?」という部分にも焦点を当てながらお話しできるかと思います。
一人でやろうとするとなかなか難しいのがこの「価値観」についてなので、一人でやるより誰かに話す方が気づきは早くなりますよ。